物語のモチーフは1964年に開催された東京五輪(photo by gettyimages)

エンターテインメント小説の旗手は、なぜ昭和史の闇を描き続けるのか

東京五輪記録映画に群がった悪党たち

このたび刊行された月村了衛『悪の五輪』は、1964年の東京オリンピックを背景に、映画好きの変人ヤクザ・人見稀郎が親分の命令で、オリンピックの公式記録映画の監督という大役に三流の監督・錦田欣明を押し込むべく、映画界や政界などを相手取って暗躍する物語だ。

彼の行動によって、莫大な利権が動き、オリンピックという祭典に群がる悪党どもの姿が浮き彫りになる。

 

「昭和史」は調べるほどに恐ろしい

―月村ファンならお気づきかもしれないが、この作品には原型となる短篇が存在している。2015年に講談社から刊行されたアンソロジー『激動 東京五輪1964』に収録された「連環」という作品だ。

私は1963年3月生まれですから、当然1964年のオリンピックは記憶にないです。アンソロジーに参加した諸先輩の中で、自分がどういう切り口を見出し得るかから入って、オリンピックの記録映画に着目したんですよ。

それで「連環」を書いたのですが、書き終わった直後に、これは長篇化したほうがいいんじゃないかと気づいたんですね。ひとつの鉱脈を見つけた思いがありまして、いずれ必ず書こうと考えたんです。

ところが、仕事が詰まっていて着手の機会のないままだったのですが、一昨年でしたか、講談社の方にこれは2020年のオリンピックの前に出したいと言われまして。全くその通りで、最優先で書かなければと。

―オリンピックの記録映画というと、当初予定されていた黒澤明監督が降板し、最終的に市川崑監督が撮影したというのはよく知られた史実である。『悪の五輪』は、黒澤の降板から始まり、市川の監督就任で終わる物語だ。月村は、この発想をどこから得たのだろうか。

有体に申しますと、市川崑が女優の有馬稲子に対してどれだけひどいことをしたかという話ですよ。それは昔から折に触れて有馬稲子が語っていますが、市川崑ご本人は亡くなっているので、この二人の関係を別人にずらしたんですね、作中の錦田欣明という架空の監督の話として。

市川崑が記録映画の監督になる結末はみんな知っていることが前提なので、物語はそこで終わらせようと。市川崑本人については、最後に名前が出るまでは一切言及しない。すべては錦田に仮託して、ちょっとこれはないだろうというひどいことをやってたんだというのを書いたんですね。

月村了衛氏

―昭和史の裏側を扱っているという点で、『悪の五輪』は、2018年に小学館から刊行された『東京輪舞(ロンド)』と共通している。

もとになる「連環」を書き終えてから『悪の五輪』に実際に着手するまでにタイムラグがあって、そのあいだに『東京輪舞』を書いたんです。あれも同じ方法論に基づく話で、ただ着手は『東京輪舞』が先になってしまいました。あれを書きながら蓄積したノウハウを、より磨き上げたかたちで上梓することができたんじゃないかと思います。

―月村自身は、『東京輪舞』を作家としての自分の第二期の始まりであると認識している。

その意味では、『悪の五輪』は第二期の第二弾という感じですね。今回は昭和史の中でオリンピックの時期を切り取り、『東京輪舞』は結構長い期間のクロニクルになっているという違いはありますが。

本当に昭和史というのは、調べれば調べるほど恐ろしいわけです。こんなに闇が深いのかというのは日夜感じていて、松本清張さんが『昭和史発掘』とかにどんどんのめり込んでいったのがわかりますね。恐ろしいですよ、出来れば知りたくなかったようなことまでいっぱいあるんで。

作中でも触れましたが、岸信介が大野伴睦に政権禅譲の空手形を摑ませて、その場に永田雅一と児玉誉士夫が立会人としていたというのは、百パーセント事実ですから、こういうペテンで昭和史というのは出来てるんだなあと。それが現代に直結してくる恐怖と、因果が積み重なって我々の今日があるという意識が深まっていくばかりですね。