しなびたレタスも捨てない

そこまで聞いた時点で私は、この勝負はルイが勝ったと、Y子に負けをいいわたした。ムッシュ・マルタンはどうして、怒ったわけを彼女に詳しく説明しなかったのだろうか。食べ物の恨みが怖いのは、洋の東西を問わない。まして相手はグルメでグルマンな、フランス人なのだから。

フランス料理はソースが命。肉を焼いたフライパンにこびりついた焼き焦げが、抜群に美味しいソースに早変わりする。焼けたステーキ肉を取り出した後の熱々フライパンに、飲み残しのワインをジュッと注ぐだけで、ピュアーな肉汁ソースができあがる。それをステーキや、付け合わせの野菜やパスタにかける。肉の旨味が凝縮したソースが残っているフライパンをこともあろうに洗おうとしたのだから、Y子も罪なことをしたものだ。

美味しいステーキを焼いたフライパンそのものが、ご馳走の材料なのだ Photo by iStock

フライパンに残ったソースの一件で大騒ぎしたら、この先が思いやられる。Y子にむかって私は、知っている限りこの手のフランス的な習慣を挙げてみた。

ステーキだけでなく、鶏肉や魚も、それを焼いたフライパンに残った焼き焦げは、どれも素晴らしいソースにしあがる。また、野菜のゆで汁を捨てない人も多い。ほかの野菜やパスタを、残っている野菜のゆで汁でゆでる。そうすれば野菜やパスタに、ゆで汁に溶けている野菜のエキスが移るというわけだ。食べきらなかったサラダ・ボールに残ったレタスも、まず捨てない。ドレッシングがからまり、クテッとしおれてしまったレタスもまた、それなりに味がしみていて美味しいと彼らはいう。

多くのフランス人は食べ物だけでなく、まずモノを捨てない。お皿を洗うのに、水道の水を流しっぱなしにしていて、お姑さんに叱られた日本女性も多い。一度使ったラップ類やペーパータオルを再利用する人もいるといったら、彼女は目をまるくして驚いた。

しばらくして気分が落ち着いたらしく、彼女はそんなフランス人が大好きだといった。日本人ももっとモノを大切にするべきだと力説し、Y子は嬉々として帰っていった。