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「AED装着の男女格差」が示した、この社会にひそむ倫理のバグ

「当事者になりたくない」の深層心理

AED装着の「男女格差」とは?

京都大学などの研究グループによれば、2008~2015年に全国の学校構内で心停止になった子ども232人について、救急隊が到着する前にAEDのパッドが装着されたかどうかを調べたところ、小学生と中学生では明確な男女差がなかったのに対して、高校生では女子生徒に使われる割合が3割ほど低くなることが明らかとなった。

小学生と中学生では男女の間で有意な差はなかったものの、高校生では男子生徒の83.2%にパッドが装着されたのに対して、女子生徒は55.6%と、性差が認められる。

NHKの報道では「近くにいた人たちが素肌を出すことに一定の抵抗があったのではないか」と伝えられているが、男子高校生と女子高校生では調査の母数が異なる(男子:101人中84人装着/女子:18人中10人装着)ため、このデータのみをもって「女子はAEDが装着されづらい」と断じることはできない。

しかしながら、他の調査データでも、女性は「他人に衣服を脱がせられる」ことに抵抗を感じているし、家族など近しい人以外の衣服を脱がせること、とくに男性が女性の衣服を脱がせることにも強い抵抗感があることが判明している。

〈アンケート結果によると、医療従事者以外の一般の人が救助にあたる場合、「AEDを使うために異性に衣服を脱がされること」について、女性の合計86%が不快感、もしくは抵抗感を感じるとの回答結果でした(下グラフ)。さらに、プライバシー配慮については「周りの人から見えないようにしてほしい」という要望も寄せられました〉(2018年9月15日、PHILIPSニュースセンター「いつ、誰にでも起こりうる心肺停止の怖さ。あなたができる救助の心構え」より引用)

以上のことから、少なくとも女性に対するAED装着には、たとえ緊急のときであっても、その行為をためらわせる心理的な障壁があると推測することは妥当といえるだろう。

 

「トロッコのレバーには、触れなければよい」

この知見に触れて、筆者は最近SNSでしばしば話題にのぼる「トロッコ問題」を想起した。

トロッコ問題とは――制御を失ったトロッコがレールの上を爆走している。分岐点を切り替えるレバーを引かなければ5人の命が失われる。しかし切り替えれば1人の命が失われる。あなたはどちらを選ぶか、と問うものだ。

今回の京大の調査をトロッコ問題に喩えると「レールを切り替えるレバーに、そもそも触れようとしない(当事者になりたくない)人が少なからずいる」ということになる。

「レバーを切り替える当事者」になってしまったら、必ずだれかの生死に責任を負わなければならない。5人を救った英雄になったとしても、1人の遺族からは永久に恨まれ、責めさいなまれる日々を送ることになる。レバーに触らなければ5人死ぬが、しかしその死に自分は直接関与しているわけではないから、自分にとってリスクにはならない――。

トロッコ問題の概念図(CC BY-SA4.0, by McGeddon)

これをAEDの件で言い換えるなら、たとえ「瀕死の女性を助けるため」という明白かつ切迫した理由があっても、周囲の人が「女性の体に許可なく触れる」という社会的なリスクを負いたくないがために、AEDを装着されない女性が4割近くもいるということになる。

トロッコのレバーにはじめから触らなければ「当事者」にならなくて済む。「リスクを負うべきかどうか」などと悩む必要もないのだ。

このことは、われわれの暮らす社会において、人の生き死にが関わり、まさに一刻一秒を争うときにも「社会的に逸脱した行為(この場合は、見知らぬ女性の服を脱がす)をしたくないという倫理観」がいよいよ勝るとも劣らない勢いとなってきたことを示していると考えられる。