生まれて初めて自らの意志で選んだ
自らの居場所

Rさんに立ち上がるきっかけを与えてくれたのは、テレビに映った子供だった。

「<世界がもし100人の村だったら>という番組でした。南アフリカのコーヒー農園で児童労働をさせられている子が、なけなしのお金で1本の鉛筆を買うんです。それを半分に折って、きょうだいと分けて、『これで勉強ができるね』って目を輝かせているんです。それを見て、頑張ろうかなと思えたんです。だって、僕は頑張ろうと思えば頑張れる国にいるんだし、奴隷じゃないし。もうひとのせいにするのはやめようと」

南アフリカでは児童労働はまだ存在する。世界中には、勉強をしたくてもできない子どももいる Photo by Getty Images

小学生のころに憧れた物理を勉強したい。大学で学びたい。知的なことを語り合える友達がほしい。純粋な欲求が心の奥底からわき上がってきた。それはおそらく、小学生のころからRさんがずっと胸の奥に抱いていた素直な気持ち。でも常に母親がRさんの行動をコントロールしていたがために、いつしかその気持ち自体が麻痺してしまっていた。

大学受験勉強のために、有料の自習室に毎日通うことにした。1年ぶりに外出すると、自分を責める幻聴が聞こえた。パニック障害の一種であろう。それでもなんとか自習室に通い続けた。

その机が、生まれて初めてRさんが自らの意志で選んだ自らの居場所だったといえるかもしれない。そこから本当の意味でのRさんの人生が始まった。

自習室に30代の男性が来ていた。東大と東工大の両方で数学の修士を取り、難関大学専門予備校で塾講師をしていたが退職し、司法試験を目指して勉強しているという変わり者だった。

いっしょに昼食をとりながら、彼が言った。「よし、僕が勉強を教えてあげるよ。司法試験の勉強では、いままでせっかく勉強してきた理系の知識が不要になる。それを吐き出す場所がほしかったんだ」。それから2年間、彼がオリジナルの教材をつくってくれて、つきっきりで受験指導をしてくれた。

「いまの僕の人生があるのは、100%彼のおかげです」

Rさんは見事、東工大に合格する。さらに東大の大学院に進んだ。世界の常識をひっくり返す可能性がある最先端分野に関わっている。研究室では、心から尊敬できる素晴らしいひとびとに囲まれている。「ひとを信じてもいいんだ」と思えている自分がいる。自分の変化を自分で感じる。

「いま、ここで、みんなが自分を肯定的に認めてくれる。それが、僕が僕であることの証しだと感じています。それが僕のすべて。それ以外にない」

修士課程の最後の発表の日、かねてより闘病中だった父親が危篤に陥った。事情を知った教授たちは、Rさんの修士論文が特に優秀だと認められ「特別賞」に内定していることをこっそり教えてくれた。「お父さんに伝えてあげなさい」。そう送り出されて病院に駆けつけた。

まだ意識があった。修士論文が「特別賞」に認められたことを報告すると、父親はとても喜んだ。息子がとうとう自分らしい人生を歩み始めたのを見届けて、次第に意識が遠のいていった。

父親はもともと自由業だった。しかし母親からさまざまな制約を付けられ、次第に仕事は減っていく。晩年は朝の5時から夜10時までコンビニでバイトをして家計を支えた。母親は資産家の娘だったが、あくまでも夫に大黒柱としての役割を求めた。母親はそんな父親までも邪険に扱うようになる。バイトの帰り道で倒れ救急車で運ばれたときには、すでに全身を癌に冒されていた。

「父親とはもっと話しておきたかった」

Rさんが持病の小児ぜんそくで苦しんでいるとき、夜が明けるまでずっといっしょにいてくれたのはいつも父親だった。「小さいことを大切に、丁寧にやれ」が父親の口癖。それがいまの研究者としての心意気にもなっている。本当は父親は、「息子には自由に生きてほしい」と、それだけを願っていた。Rくんを殴るとき、それが父親の本意でないことは、Rさんにはわかっていた。