命の価値は障害で変わるものではない

生まれてきたひかりちゃんの顔を見た時、青木さんはひかりちゃんがダウン症だったと直感的にわかった。悲しくなかったと言えば、それはうそになる。でも、その悲しみはそんなに大きなものにはならずに済み、パニックにもならなかった。超音波検査で心配が見つかっていたので高度な病院に転院しての出産だったが、生まれてみると、幸いひかりちゃんには深刻な合併症はなかった。

育児の中で、ひかりちゃんがダウン症であるための心配はいろいろある。首の座りが遅かったり、インフルエンザにかかると重症化しやすかったりと、数え上げればきりはない。友人たちに子どもの話を聞くと、ああ、みんなは健常な子を産んだんだなと思って、ふっとさみしくなることもある。

「でも、ダウン症じゃなかったらひかりちゃんじゃないから。ひかりちゃんじゃない子は、私はいやだな。きみはきみだよね」

青木さんはそう言って、ぐっすり寝てしまったひかりちゃんをぎゅっと抱きしめた。

妊娠中の思い出の品を見せていただけますか、と頼んだところ、青木さんは本棚から一冊の本を引っ張りだした。ナチスの強制収容所に収容された体験を綴った名著『夜と霧』を書いた精神科医・心理学者ヴィクトール・エミール・フランクルの講演集『それでも人生にイエスと言う』(山田 邦男・松田 美佳訳/春秋社)だ。

「すごく悩んでいた時にフランクルだったら何か答えをくれるような気がしてひもといてみたんです。たまたま本箱にあったんですけれども、命の価値というものは障害があるかどうかで決まるような単純なものではないということがこの本には書いてあります」

妊娠中、青木さんの座右の書になっていたフランクルの講演集。自分の価値観を確かめたくて、必死で言葉を探した 撮影/河合蘭

本にはさまざまな例が登場する。たとえば5年間寝たきりだった精神疾患患者で医学生たちに「安楽死をさせた方がいいのでは」といつも質問が出ていた患者が、ある日目覚めてごく普通に活動できるようになり、旅をして素晴らしい写真を撮り、大学で講義をしたという例。そして、青木さんが「当時、すごく泣いた」というのは、新聞でフランクルが見つけたというある母親の投稿だ。
 
「私の子供は、胎内で頭蓋骨が早期に癒着したために不治の病にかかったまま、一九二九年六月六日に生まれました。私は当時十八歳でした。 私は子供を神さまのように崇め、 かぎりなく愛しました。母と私は、このかわいそうなおちびちゃんを助けるために、あらゆることをしました。が、むだでした。子供は歩くことも話すこともできませんでした。

でも私は若かったし、希望を捨てませんでした。私は昼も夜も働きました。ひたすら、かわいい娘に栄養食品や薬を買ってやるためでした。そして、娘の小さなやせた手を私の首に回してやって、『おかあさんのこと好き? ちびちゃん』ときくと、娘は私にしっかり抱きついてほほえみ、小さな手で不器用に私の顔をなでるのでした。 そんなとき私はしあわせでした。 どんなにつらいことがあっても、かぎりなくしあわせだったのです」(『それでも人生にイエスという』より引用)

選択を正しくする努力はできる

フランクルは、人の価値には、ただ愛されているだけで誰かを幸せにできるという価値もある例としてこの投稿を紹介している。愛されている人は、その人が何もしなくても、ただ、そこにいるだけで高い価値がある人間なのだと。そして、病気で仕事ができない少数の人のためのわずかなお金すら出せないような社会は、すでに経済破綻を起こしている社会だと書いている。

しかし今「税金を使うから、障害がある子どもを産むな」という書き込みが、ネットには書き散らされている。フランクルは、少しでも「生産性が低い」とみられたらたちどころにガス室に送られる強制収容所にいたが、人の社会はいつでも多かれ少なかれ強制収容所と同じところがあるのだろう。

だから、青木さんもこう言う。

「私たちは、自分たちはひかりちゃんの分まで生産性の高い人になり、夫婦で力を合わせて経済的に社会へ貢献したいです」

ただ、青木さんがひかりちゃんを産んだのは、もうひとつの「幸せ」という価値観からだった。今、ひかりちゃんはここにいて、愛されて、青木さんを幸せにしている。確かに価値ある存在として、生きている。

最近、青木さんは、産むことに反対していた父親から初めてうれしいメッセージをもらった。

「ある選択が正しかったかどうかは、その時はわからない。未来が決める。ただ、その選択を正しくする努力はできる」

あの時、頭ごなしに反対した父親が、言葉をくれた。がんばろう、と背筋が伸びた。

連載第一回「心のケア専門看護師の寄り添い方」こちら