そこで青木さんが欲しくなったのは「生の情報」だった。「出生前診断の後に産むか、産まないかを考えている人間が受け入れてもらえるのか」と不安に思いつつも、「どうしても実際のところを知りたい」という一心で公益財団法人日本ダウン症協会の戸を叩いたのだ。すると、同会の理事でもある水戸川真由美さんに出会い、さまざまなサポートを受けるようになった。

青木さんのようにひとりで出生前診断に悩む人が増えていることを背景に、水戸川さんは、さらにもう一つの組織にもかかわり始めていた。今、クラウドファンディングで「胎児ホットライン」を立ち上げ、医療施設にブックレットを配布しようとしている「NPO法人親子の未来を支える会」だ。

自身が二十歳になるダウン症のある息子を育てあげた水戸川さんの話は、医師や遺伝カウンセラーからは聞けない実際的な話ばかりだった。青木さんが「7分の1」という衝撃的な数字を告げられたトラウマによって「次の妊婦健診に行くのが怖い」と言うと、水戸川さんは病院に同行してくれた。

水戸川さんは母親の自宅に来て、育児・家事を手伝いながら相談事に乗ってくれる。青木さんは水戸川さんからダウン症について生きた知識を学び、産後は温かい食事を作ってもらった 撮影/河合蘭

ダンスを楽しむダウン症の子どもたちの姿

また水戸川さんは、ダウン症のある人専門のエンターテインメント・スクール「ラブジャンクス」のステージがあることも教えてくれた。青木さんがステージで見たのはダンスを純粋に楽しむ子たちの姿だった。いつのまにか、青木さんはお腹の子に「楽しそうだね」と話しかけ、妊娠継続の意志は自然に固まっていった。

青木さんが、親の反対をかわした作戦は、こうだ。

「『赤ちゃんは7分の6の確率で健常児だから、それに賭けてください』と頼んだのです。7分の1で起きるというと怖くなるけれど、7分の6で起きないと言われると安心してしまう。これは遺伝カウンセラーさんが教えてくれた心理トリックです」

そして、染色体異常があることが確定してしまう羊水検査や絨毛検査は受けないことにする。もともとリスクのある検査は受けたくなかったし、ダウン症と確定してしまったら、もう、親の反対はどうにもならないと思ったからだ。

「38歳にして、初めてのレジスタンスです」

今回の実家とのやりとりを、青木さんはそう考えている。青木さんは、社会的成功を収めた人が多い家系に生まれた。就学以来、常に一定以上の成績を求められ、親の望むように受験校へ進み、一流大学で学んだ。どこかで疑問を感じて、時々自分を見失いそうな危機を感じながら、結局、親の期待にこたえようとしてしまう――そうしないと、自分の価値が認められないような気がしたからだ。

「でも、今回だけは譲れない、と思っていました」

青木さんの、お腹の命を守る旅は、自立への旅でもあった。

青木さんは、産むことを断念した人たちについて何かを言う気持ちはまったくないと言った。

「これは、本当に難しいことだからです。たとえば、これから妊娠初期に確かなことがわかる検査ができたら、私も、どう決断したかわかりません。とても大変な病気の赤ちゃんにも、病院で会いました。自分だったらどうするか、そういうことは本当に簡単にはわかりません」