「井上尚弥は全く別の生き物」敗れた外国人ボクサーが語る怪物の実像

怪物に敗れた男たち③
森合 正範 プロフィール

「イノウエはパッキャオになれる男」

ファイトマネーで手にした300万円で、パレナスはフィリピンに家を建て、家族のために車を購入した。

井上戦の後、しばらくリングから遠ざかった。半年以上が過ぎた2016年夏。現在所属する森岡ジムからスパーリングパートナーの依頼が来た。森岡が振り返る。

「スパーが終わったら、フィリピンに帰って引退すると言うから、『うちでトレーナーとして来るか?』という話になった。そしたら、そのうちウォズから『日本で試合をしていいですか』となったんです」

 

トレーナー兼選手。森岡ジムに住み込みで給料をもらう。衣食住に不自由はない。毎週お小遣いまでもらえる。半年に1回、フィリピンへ帰るときには渡航費も出る。

勝又ジムから始まり、リングから離れてしばらくすると、ユナイテッド、森岡ジムと日本から声がかかる。森岡はパレナスの性格を「日本人に似ている」とみている。

「すごく優しいですよね。気配りというか。何かあっても我慢して言わない。溜めてしまう。でもすぐに顔に出るから『何を悩んでいるんだ?』と分かるんですけどね」

井上戦以来、2年ぶりに再起。2試合をKOで飾った後、WBOアジア・パシフィック王座決定戦で船井龍一(ワタナベ)に8回KO負け。引退を考えたが、フィリピンの妻からは「ウォズ、あなたはまだ強いよ。頑張って」と鼓舞され、再びリングへ。昨年12月、石田匠(井岡)に判定で敗れ、また進退に悩む。

「ことし36歳。まだ闘いたい。でもボクシングもトレーニングもハード。常に悩んでいる。大切なのは働くこと。フィリピンでは『マネー、マネー』と言われるからね」

パレナスの家族。彼らの生活も支えなければならない

パレナスは毎月の給料から1万円だけ手元に置き、残り全てを送金している。日本で銀行口座を持てないため、大阪・梅田まで行き、手続きをする。交通費、送金手数料を引くと、6000円程度しか残らない。

父は2年前から病気を患い、昨年末、天国へ旅立った。入院代から葬儀代までパレナスが一人で負担した。妻と二人の子ども、母はもちろん、姉弟、妻の家族、妻の弟の子どもまで面倒をみている。

クリスマスにはサンタクロースとなり、親のいない子どもたち約50人を集めて、プレゼントを配る。2018年は船井龍一、石田匠という二人の日本人ボクサーと戦いいずれも敗北。船井戦のファイトマネー40万円、石田戦の30万円も全て故郷へ持ち帰った。

フィリピンの子供たちにクリスマスプレゼントを配るパレナス

「フィリピンと日本では文化が違うんだ。家族や親類に仕事がなければ、サポートしたり、お金をあげる。ネグロス島の男の人たちにはあまり仕事がない。稼げる人がみんなを支える。闘えばファイトマネーを送ってあげられる。だから、どうしてももう1回闘おうと考えてしまう」

ボクシング人生を振り返ったとき、井上戦は分岐点であり、勲章にもなっている。

「私にとって大きな栄誉。彼はナイスガイで、闘えたことが幸せ。井上はとても強くて人気がある。彼と闘ったことによって、多くの人に知ってもらえた。マニー・パッキャオはフィリピンだけでなく世界でオンリーワン。だけど、もしかしたらナオヤ・イノウエも同じようになるかもしれない」

井上尚弥の凄さ。それは、敗者があまりの強さに脱帽し、拳を交えたことに感謝し、誇りにさえ思うことではないか。真のチャンピオンは闘った相手に恩恵をもたらし、幸せにする。パレナスは井上戦のファイトマネーで家を建て、車を買い、家族、親類を養った。「井上と闘った男」として、知名度も上がった。たとえ、敗れようが、人生の幸福の道をひらいたのだ。

ただし、ときどき頭をよぎることがある。冗談めかしてこう言った。

「もし、イノウエが同じ時代にいなければ、もしくは彼のけががもう少しだけ長引いたとしたら、私が世界チャンピオンになっていただろうね」

2019年5月10日、東京・後楽園ホール。東洋太平洋タイトルマッチ。パレナスは再びリングに上がった。プロ37戦目。35秒KO負け。もう衰えは隠せなかった。

「今後、どうするかわからない。でも、もうトレーナーに専念しないといけないね」

控え室で肩を落としたまま、寂しげな、そして、力のない声でそう言った。

12歳からファイトマネーとともに、支えとなってきた世界チャンピオンの夢。今は遙か遠くにある。