「井上尚弥は全く別の生き物」敗れた外国人ボクサーが語る怪物の実像

怪物に敗れた男たち③

WBA世界バンタム級王者の井上尚弥(大橋ジム)が、まもなく最強決定トーナメント「WBSS」(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)準決勝のリングに上がる。

これまで井上に敗れた佐野友樹、河野公平から話を聞いた。リング上で怪物と対峙し、何を感じ、今、何を思うのか。その証言から井上の強さを浮き彫りにするのが連載の狙いだ。

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今回、初めて外国人ボクサーを取材した。フィリピン出身のワルリト・パレナス。ボクシングファンには、かつて勝又ジムに所属した「ウォーズ・カツマタ」として知られ、現在は森岡ジムに所属する日本に馴染み深い選手。井上尚弥プロ9戦目の対戦相手だ。

取材を終えると、パレナスがリング上で体感した「怪物」を描くとともに、フィリピンに家族を残し、日本で闘うボクサーの物語も伝えたいと強く感じていた。

 

家族のために、町中の子どもたちのために

勝てば100ペソを握りしめ、負ければ50ペソをポケットに突っ込んだ。日本円に換算すると、勝者は約200円、敗者は約100円。フィリピンの小さな町に住む少年にとっては死活問題だった。

ワルリト・パレナス。ニックネームは「ウォズ」。彼のボクシング人生は12歳からファイトマネーとともに始まった。

「毎週土曜日、アマチュアの試合があってね。草ボクシングのようなもので、お金がもらえたのさ。私の家は農家で貧しかったから、自分で稼いでいたんだ」

フィリピン・ネグロス島、海沿いの町カディスに生まれた。3人姉弟の2番目。異母兄弟もいる複雑な家庭環境。12歳からボクシングを始め、同時に漁師のアルバイトにも励んだ。

「フィリピンでボクシングはメジャースポーツだから、父から『やったらどうだ?』と言われたけど、最初は怖かったんだ。でも初めての試合で勝ったとき、すごく興奮したんだ。そのとき分かった。勝ってお金を稼げば、自分もみんなも幸せになる。世界チャンピオンになって、お金持ちになれば、両親や兄妹を助けられる、ってね」

ボクシングは自らの生活のため。それが家族のためとなり、2015年12月29日、東京・有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級王者の井上に挑んだときには、親類のため、町中の子どもたちのためにまで広がっていた。

みんなが「マネー」「マネー」と言ってくる

2007年4月、プロデビュー。しかし、試合を重ねても、ファイトマネーはほとんどもらえなかった。3年が過ぎたころ、既に世界王者となっていた亀田興毅、大毅のスパーリングパートナーに抜擢された。

「グッドスパーリングだったと思う。それを見た勝又ジムがオファーをしてくれた。『日本でやるか?』と聞かれて『やりたい』と即答したよ。これはチャンスだ、と。妻も子どももいる。日本で試合をして、名前を売って、稼がないといけなかったんだ」

家族と離れ、日本を主戦場に移す。勝又ジム(東京都江戸川区)所属となり、リングネームは「ウォーズ・カツマタ」。2011年4月に日本初戦を行い、強烈な右ストレートを武器にKOの山を築いた。昼間は練習や亀田兄弟とのスパーリング、夜はフィリピンパブで働く。稼いだお金は全てフィリピンへ送った。

「日本に来てから、フィリピンの妻と子どもだけでなく、両親、姉弟、親類をサポートするようになったんだ。みんなが『マネー』と言って私を頼ってくる。家族のことばかり考えていたね」

町中の子どもたちの面倒も見ているパレナス。彼らのためにも、勝ち続けなければならなかった

ところが日本での初めての生活は計1年半、7戦(6勝6KO1敗)しか続かなかった。2012年11月の試合を最後に、体調を崩し、フィリピンへ帰った。

フィリピンで住みやすい都市の一つ、ネグロス島西部のバコロドで暮らす。さとうきび畑が広がり、人々は温かい。パレナスは家族と穏やかな日々を送り、しばらく静養した。少しずつ体調が戻ってきたころ、今度はフィリピンにコネクションのあるユナイテッドジム(東京都江戸川区)から「もう1回やったらどうだ」と声がかかった。

江戸川区にあるジム近くの寮に住みながら、トレーナー業に励み、試合はフィリピン・マニラで行った。

「そこから約1年で6連勝さ。地域タイトルをとったり、ランキングを地道に上げていって、世界ランク1位になった。井上が(右拳を)けがしている間、WBO暫定王座決定戦でメキシコに行ったんだ」

のちに井上とも対戦するダビド・カルモナ(メキシコ)と闘い、惜しくもドロー。
そして、オマール・ナルバエス(アルゼンチン)戦で右拳を痛め、休養していた井上から防衛戦のオファーが舞い込んできた。