「無職の専業主婦」の年金半額が批判を集めたもう1つの理由

専業主婦の敵はワーママではない

連休中、気になるニュースが流れてきた。NEWSポストセブンに掲載された記事で、働く女性の声を理由に「無職の専業主婦」の年金を減らす、という趣旨だった。Twitterでは、女性の分断を招くような論調に批判的な意見を多く目にした。

その後、毎日新聞の厚労省への取材で、2015年に第3号被保険者(※)の縮小を議論した資料はあるものの、働く女性の声を根拠にしていることを示す記述や調査はどこにもないことがわかり、先の記事が働く女性と専業主婦の対立構造を意図的につくった可能性が出てきた。

※会社員や公務員など国民年金の第2号被保険者に扶養される配偶者(20歳以上60歳未満)。第3号被保険者は独自の保険料の負担を求められない。

「無職の専業主婦」という表現への違和感

女性の分断を意図的に招いたことも問題だが、私がNEWSポストセブンの記事で気になったのは、「無職の専業主婦」という表現である。より正確に言えば、家事育児などのケア労働を専業にして、労働市場に出ていない人を「無職」と表現してしまうことの背景にあるものについて考えたい。

私自身は子どもを2人とも0歳から預けて仕事を続けてきた。それでも、ケア労働を軽視する価値観に対して、強烈な違和感を覚える。

誰もが仕事で疲れたら家で休んだり食事をしたりする。家事は労働力の再生産に必要不可欠なものだ。また、赤ん坊や子どもを育てることは、保護者としての義務や子どもへの愛情という個人的な事柄であると同時に、社会的には労働者を生み出す機能を持つ。

この世の中は、働く場や市場だけでは回って行かないのに、ケア労働が担う再生産の価値と重要性に気づかない人が多すぎるのである。

 

ケア労働は「やって当たり前」ではない

2人目の子どもが通った幼稚園で、専業主婦の友人が多くできた。園の運営や市役所の補助金などについて彼女達と意見を交わすと「私は働いていないから、あまり強く言えないんだよね……」と言う人にたくさん出会った。そのたび、私が言ったのは「立派に子育てをしているよね」ということだった。

郊外の専業主婦家庭は、平日の父親不在を「当然のこと」として受け入れている。自宅でも図書館でもカフェでも仕事をしている私の様子を見て「いいな。私もそういう働き方ができたら、仕事できるんだけど」と言われたこともある。

〔PHOTO〕iStock

朝、園に子どもを送っていき、午後明るいうちにお迎えに行く。仮に預かり保育を使ったとしても、18時、19時のお迎えに間に合う時間にパートなどの仕事を切り上げて迎えに行くのは「自分の仕事」だと、多くの専業主婦が考えている。都心まで1時間、1時間半と通勤する夫たちの帰宅は21時、22時が当たり前だ。園や学校で子どもが体調を崩せば、迎えに行くのは「私の仕事」だと、母親たちは当然のように考えているのである。