対米従属から脱却するために、いま日本がやるべき「3つのこと」

これができない政治家は退場せよ!
矢部 宏治 プロフィール
 

1960年に「対等な日米新時代」をスローガンにして岸首相がおこなった安保改定により、旧安保時代のような事実上の占領状態はなくなったと日本人はみんな思っている。ところが岸は安保改定交渉が始まる前年、訪米しておこなったアイゼンハワーとの首脳会談で、次の内容に合意していたのである。

「日本国内の米軍の配備と使用については、アメリカが実行可能な場合はいつでも協議する」(部分)(会談後の共同声明 1957年6月21日)

前ページの旧安保条約・第1条に書かれた、「日本の国土の自由使用」と「自由出撃」という植民地同然の権利。それが安保改定後もそのまま存続することが、このとき確定した。というのも岸による安保改定の目玉は、米軍の自由な軍事行動に日本側が制約をかける「事前協議制度」の創設にあったのだが、その「事前協議」の本質が「米軍がやりたくない場合はやらなくていい」ものだということが、ここで合意されてしまったからである。

その後結ばれた新安保条約、日米地位協定と、その他無数の密約は、やはりこの共同声明の1行を、細かく条文化する形で生まれたものといってよい。そしてその過程で、日本の戦後史における2つ目の盲点が生まれる。下の漫画の2コマ目にある「討議の記録」という名の「密約中の密約」である。

これはいわば先の共同声明の内容(事前協議制度の空洞化)を、ABCD4つの具体的な密約条項に書き換えたものといえる。漫画にあるように、AとCが日本の国土の自由使用、BとDが日本の国土からの自由出撃についての密約である。新安保条約調印の約2週間前(1960年1月6日)に藤山外務大臣によってサインされている。

冒頭の「(2)なぜ、これほど異常な状況が続いてしまったのか」という問いへの答えは、この密約文書ひとつですんでしまう。ひとことでいうとこの密約は、旧安保時代の米軍の権利は、ほぼすべてそのまま引き継がれるという内容の密約だからだ。

ところがこの「日米密約の王様」ともいうべき最重要文書のことを、やはり日本の官僚もジャーナリストも、ほとんど知らない。その理由は外務省が長らくこの文書の存在を否定し続け、2010年にようやくその存在を認めたあとも、一貫して文書の効力を否定し続けているからだ。

新たに切り出された2つの密約

昨年、この「討議の記録」について改めて調べ直したとき、非常に重大な発見をしたのでここで報告しておきたい。それが本稿最後の「3つ目の盲点」である。

この「討議の記録」というあまりに重大な密約文書を、岸が次の池田政権に引き継がなかったため、その後、池田政権の大平外務大臣と外務省は大混乱におちいることになるのだが、その説明は別の機会に譲る。

ここで注目すべきは、上の漫画の3コマ目にあるように、外務省がこの密約文書を北米局長室の金庫にしまい込んでその存在を隠蔽する一方、アメリカはそこからAとCの内容を切り出した「基地権密約」と、BとDの内容を切り出したような「朝鮮戦争・自由出撃密約」という2つの密約文書をあらかじめ別につくっておき、同じ1960年1月6日に藤山外務大臣にサインさせていたということだ。

その後、それら新たに切り出された2つの密約が、漫画4コマ目のとおり、安保改定後の「日米合同委員会」と「日米安保協議委員会(現在の「2+2」)」の議事録に、それぞれ編入されたことがわかっている。だが、なぜそんなことをする必要があったのか。

誰もきちんと安保条約を読んでいなかった

その間の経緯をくわしく検証するなかで気づいたのが「3つ目の盲点」、つまり「新安保条約・第6条後半」の持つ異常性だ。まず次のページの条文を読んでほしい。