なぜ? 日本三大祭り「神田祭」の知られざる祭神不明の過去

それでも「祭りは!俺らの中にある!」
乃至 政彦 プロフィール

まさかど様が戻った神田祭

ともあれ、神田祭は開催月を変えながらも、江戸時代から今日までこうして平和に続いている。

なお、明治初期に祭神から外された将門が、ふたたび神田明神の神さまに戻ったのは昭和59年(1984)のことであることに留意されたい。台風事件の明治20年(1884)のから、約100年もの間、神田祭は将門抜きでお祭りを続けてきたのだ。

神田ッ子たちは、それでも懸命にお祭りを楽しんできた。そして今では将門抜きで行えないお祭りに育っている。

ダイコク様・エビス様・まさかど様の由緒

ついでに神田明神の祭神について述べておこう。将門が復帰したことで現在は一ノ宮にダイコク様(大己貴命=オオナムジノミコト)、二ノ宮にエビス様(少彦名命=スクナヒコナノミコト)、三ノ宮にまさかど様(将門命=マサカドノミコト)が祭られている。

ただ、初期の神田明神がいずれの祭神を祭って来たのか、実はよくわかっていない。
社伝によれば、神田明神は天平2年(730)に出雲出身の真神田臣(まかんだおみ)氏が創建したことにされている。このとき祭神とされたダイコク様(大己貴命)は、安房神社(千葉県館山市)から分祀されたものだという。しかしその安房神社では、今も昔もダイコク様を祭神としていた形跡がなく、この伝承には疑念が残る。

今、二ノ宮に祭られるエビス様は、明治になって将門を祭神から外したとき、取り急ぎ祭神に加えられたものである。

今では三ノ宮に祭られる将門も、首無し死体が歩いたり、首が飛来したという伝説を信じる現代人はいないだろう。将門がもともとどういう経緯で祭神となったのかは、歴史学の見地で首肯できる回答が見出されていない。

これらのことから神田明神のもともとの祭神は不明と言わざるを得ないのである。

神田明神と将門命

ここまで神田明神ならびに神田祭の由緒や変遷について、色々と疑念を挟み込んできた。だが、これで人々の信仰が揺らぐようなことはあり得ないだろう。

そもそも、我々の歴史への愛や、霊場への信心は、文献史や風俗史の手法による研究・検証・指摘で霧散するほど、脆いものではないはずだ。

お祭りに参加する人々の将門に対する敬慕の念、江戸総鎮守府への熱意、そして祭神への信仰心は、どれも一点の曇りなく真実そのものだと言い切れる。

神田明神の由緒と変遷がどうであれ、現在の祭神が「ダイコク様・エビス様・まさかど様」である事実は、これからも変わらない。

今も生き続ける坂東の虎

生前の将門は、困った人たちを見捨ることなく、常に勇気づけ続けてきた。また、関東の民が国司たちに見放されたとき、彼らのために立ち上がるような男だった。
そんな将門のことだから、神田祭で活力にあふれる我々の姿も、笑顔で見守ってくれているだろう。

その由緒がなんであろうと、我々は胸を張って「祭りなら! 我らの中にある!」と、将門に微笑がえしすればいいのだ。

関連記事