「面白くてためになる」から「世のため人のため」の道徳路線への転換

大衆は神である(50)
魚住 昭 プロフィール

のぼせ返っていたのであります

大阪のボイコット騒ぎは大野の力で鎮圧された。が、小売店に歓迎されなかった『修養全集』と『講談全集』は、目標の100万部の半分も売れなかった。講談社は夥しい返品の山を収納するため、音羽の邸内に倉庫をいくつもつくらざるを得なくなった。口述録での清治の述懐。

 

〈『修養全集』。ふつう、あの製本をわずか少量のものであると、製本料だけで(一冊あたり)七十銭かかりましょう。背皮は羊の皮です。それを大量ですから羊を何頭つぶしたかわからない。豪州から取り寄せたのです。

『講談全集』のごときもあの膨大なる冊子でありまして、その原稿につきましても種々苦心に苦心を重ねたものであります。ところでそれを一円としたので郵税(郵送料金)がかかる。九州辺に行くとその郵税がかかるために売っても儲からない。北海道辺でも郵税がかかる上に、これを読者に配るのに橇に乗せて配らなければならぬ。

それなどを計算するとどうしても儲けがとれない。儲けがとれないというために余計売ってはくれない、というようなことが一番の原因でした。名古屋をはじめ大阪で不買同盟といったようなことまで出来かかったのでありまして、随分大騒ぎであります。九州の方においても売らない方がいい、岡山辺でも、広島辺でも売らない方がいいというようなことがありましたわけですが、(略)安くそのうえにも安くなんということで、過ぎたということがこの結果を見たのであって、ここにやはり戒むべき点もあろうか。大変教えられるところがあったようなわけであります〉

これは、講談社側からすれば、それまでやみくもに突き進んできた大量生産―大量宣伝―大量販売路線の、一種の蹉跌(さてつ)であり、小売店側から見れば、『キング』で覇権を確立した講談社の横暴だったろう。清治は2大全集の失敗について『私の半生』ではこう語っている。

〈じつはこの二つ(の全集)については、その編集から宣伝、販売、なにからなにまで、いうにいわれぬ苦心を払ったものである。私ども一家の者も徹夜また徹夜をして、この上なきよきものにして、この二つのよき本を天下に提供し、どの家にもどの家にも毎戸必ずそのいずれか一つを取っていただき、全日本の同胞全体を、修養ある人、道徳ある人物、日本精神、大和魂の人になっていただきたい、という所願であって、単に全集を売ると思うな、「道徳」を広めるのだ、「義理人情」を広めるのだ、「仁義礼智」を広めるのだ。「忠孝」を広めるのだ、天下に「幸福」を配布するのだ、などと叫んで、のぼせ返っていたのであります〉

文中の「全集を売ると思うな、『道徳』を広めるのだ」という言葉に注目していただきたい。

「道徳」を前面に出したことで……

大正期に確立された講談社のコンセプトは「面白くてためになる」だった。雑誌の面白さに惹かれて読むうち、社会常識など処世に役立つ知識を身に付けることができるという意味である。

そのコンセプトが『キング』創刊(大正13年末)を機に変わりはじめる。「世のため人のため」というキャッチコピーが頻出するようになった。これは、重要な変化である。講談社の元出版部長・天田幸男が秘蔵資料のなかで回顧している。

〈私が講談社に入った大正十二年ころまでは、社は“面白くてためになる”という、その一点ばりだったと思うんです。「人間は色(人の知覚や感情を刺激するもの、あるいはその変化を意味する)と欲だ。色に対しては面白い。欲に対してはためになる。これでいけばまちがいない」。これは社長の持論だった。ところが『キング』で成功したものだから“世のため人のため”ということがうんと強調されてきた。だからそこで変化があるわけだ。そこのところが、のちに「インチキだ」という(批判を受ける原因の)一つにもなるわけだ〉

天田発言の意図を補足説明させてもらうなら、大衆の日常的な興味や欲求に即した雑誌作りが講談社の良いところだったのに、「道徳」を前面に出すようになってから、その良さが後景に退き、まるで新興宗教のような胡散(うさん)臭さを発散するようになったということだろう。

しかし、天田とは逆に、この変化を支持する声も社内にあった。というより、滅私奉公や忠君愛国が美徳とされた時代だから、こちらのほうが圧倒的多数だったろう。

『キング』の元編集長で『日本出版販売史』の著者・橋本求は、「驚異ずくめ」の『キング』の特長としてこの「道徳」路線を挙げ、「今まで、趣味と実益とか、面白くて為になるとかいう言葉はあった。しかし、一面からいえば、一個の商品に過ぎぬ雑誌を社会教化、道徳の振興、国家社会のため等と、表面から打って出たことは全く一世の壮観であった」と述べている。

アジア太平洋戦争末期の昭和19年(1944)に刊行された『野間清治伝』でも、歴史学者の中村孝也はこの「道徳」路線を取り上げ、次のように述べている。

〈一雑誌が堂々として国家社会のためと呼号したことはなかつた。「キング」は、満々たる自信をもつて「世のため人のため」と叫んで、雑誌報国の強い信念を表明したのであつた。

「雑誌報国」といふ言葉は、「キング」が最初に用ひた標語である。これは「世の為め人の為め国の為め」といふ彼の念願が凝つて、この力強い名句となつたものであり、今日各方面で盛んに用ひられてゐる××報国といふ語の濫觴(らんしよう)は「キング」の「雑誌報国」であつた〉

最初「面白くてためになる」だった講談社のコンセプトが「世のため人のため」になり、そこに「国の為め」が加わって「雑誌報国」になっていく過程がお分かりいただけたろうか。

講談社は巨大化するにつれ、国家との距離感を失い、国家と一体化していく。それはやがて不吉な未来を招き寄せることになるのだが、清治はその危うさに気づいていない。