2019.05.18
# 中国

天安門事件30年で中国は毛沢東時代に逆戻りする予感アリ

北朝鮮よりも悲惨だった時代に…
大原 浩 プロフィール

鄧小平だけが可能だった改革開放

まず、共産主義一党独裁のままでの「市場経済の導入」は、鄧小平という超人だからできたことである。この点については当サイト1月9日の記事「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『哀しき運命』を読む」を参照いただきたい。

我々は、すでに40年にわたる改革・解放の成果を目の当たりにしているから、当然のように思われているが、改革開放が始まった40年前は東西冷戦の真っ最中で、共産主義国家が資本種後の象徴とも言える「自由市場」政策を取り入れるなどということはまったく考えられなかった。

今では、そのあまりの非効率さのゆえに「絶滅危惧種」となっている5ヵ年計画などの「計画経済」が当時の共産主義国家の基本理念であり、党が「指導する」という共産主義思想にも合致していた。

その中で鄧小平が、毛沢東に蹂躙され、現在の北朝鮮よりもひどい状態であった中国を復活させる起死回生の手段として採用したのが「改革開放」である。

1978年12月に開催された中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で提出されたのが始まりだが、その後しばらくの間、中国の国民は冷ややかな目で見ていた。

なぜなら毛沢東時代の1956年から57年に共産主義中国で行われた政治運動「百花斉放、百家争鳴」の結末を知っていたからである。

当初、「共産党に関する自由な意見を募集中」ということで始まったこの運動に賛同し、大学教授をはじめとする多くの国民が意見を述べた。ところが、後に方針が転換され、この時の共産党に対する批判を理由に多くの国民が粛正された。

最初、中国人民が「共産党の指導など気にせずに、自由に商売をやってください」と言われたときに「例の反体制派あぶり出し作戦だな」と思ったのも無理は無い。

 

その後、鄧小平の懸命な努力で徐々に改革開放政策が浸透したのだが、その過程で不平等や腐敗の蔓延などの問題も生じてきた。その時に起こったのが、1989年の天安門事件である。

これは、鄧小平が主導する改革開放に対する痛手であったが、共産主義中国の人権問題に対する非難は「反日政策の強化」で欧米の目をそらした。さらには、1992年に行われた「南巡講話」で中国国民に再度呼びかけたことが効を奏し、その後の爆発的な経済成長を生み出した。

そもそも、北朝鮮よりも貧しい(改革開放初期と同時期の北朝鮮は、地下資源などで意外に潤っていた)状態からスタートしたのだから、その成長ぶりは天文学的である。

ただ、同じことを北朝鮮に期待している欧米の投資家は良い結果を得ないだろう。金正恩氏とトランプ氏の交渉がうまく決着し、北朝鮮版・改革開放が始まったとしても、「共産主義一党独裁と自由市場」という相反するものを鄧小平のようにうまく操れるはずが無く、結局とん挫するはずである。

また、習近平氏以前は一応、鄧小平路線を保っていたので、1997年の鄧小平没後も経済は順調に拡大し、2008年の北京オリンピックで頂点に達した。

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