「天皇とは何か」と聞かれたら、私たちがうまく説明できない理由

あなたを駆動する「物語」について12
赤坂 真理 プロフィール

近代日本の「国民創世神話」

わたしは「おことば」という天皇のビデオメッセージを、旅先のバリ島で、YouTubeで見た。

へんてこりんなようでいて、本質的な体験だと思った。

もし、ある民の集団が、所作や作法によって神を感得し、それによってまとまるとしたら、その規模は、バリ島くらいで、島だからこそできたことなのではないだろうか?

一億を統べるには、体感では、無理だ。

この無理のために急ごしらえで理念をつくり、くっつけて、「国民」をたばねたのが、「天皇制の神話」であり「万世一系神話」だった。

これは一種の「国民創世神話」である。しかも急ごしらえである。

天皇的なパワーは、本来は、「祭り」のような空間で、体感されるものであったのではないか。

天皇自体も、「祭り」のような空間で生まれる「神がかり」が初めだった存在だとわたしは思っている。それは神話ではない。

それを神話にして一億に信じ込ませることが、一応、成功したピークに、起きたのは「祭り」ではなく、「血祭り」だった。異民族を、のみならず同胞を、日本人は血祭りにあげた。

同胞が同胞にしたことを思うとき、わたしのこころは痛む。それが今でも日本人の心の中に、どれほど同胞に対する不信を植え付けているか。アメリカより隣組が怖かったと証言した人は、普通にたくさんいる。

同胞が同胞に、戦略的価値がひとつもない自殺をこれだけ大規模に命じた例も、世界史上に、他にない。日本が自殺や自殺に追い込まれる者の多い国であるのとこれには、関係があると思っている。どちらも、集合意識からきていて、集合意識がその時代なりに出ているのではないか。

わたしは天皇とは何かを、知りたいと思ってきた。

それは、体感的には感知できるが、理念化はできない。

理念化できないにもかかわらず、「存在」はそこにいる。

矛盾に満ちているが、その矛盾さえ、体感では理解可能である。そして言葉では説明できない。

徹頭徹尾テキストの宗教であるプロテスタントと、きわめて対照的な信仰のかたち。

「万世一系」は信じない。それには創作者がいるし、創作の過程も歴史をたどると相当程度わかり、第一がかなり新しい。

が、なんらかの神聖さを帯びているのは事実だと思われる。

が、それがそもそも血統と絶対的な関係があるのかもわからない。

それを探求することは、日本人にとって「神」「神性」とは何かを知ることだと思った。

 

象徴とは何か

天皇には、いろいろな問いの立て方がある。

わたしが着目したのは、天皇のこうむったふたつの断絶のことだった。

明治からの「近代天皇制」は、それまでの天皇像とは断絶している。

そしてもう一度、敗戦による断絶。

『箱の中の天皇』の大事な問いのひとつは「象徴とは何か?」ということだった。

変な言葉が、書いてあると思ったのだ。憲法の第一項第一条に。つまりは、いの一番に。

天皇は日本国の象徴であり

なんでこんな変な言葉が書いてあるのだろう?

素朴にそう思った。

象徴は、書かれた当初の言葉では「シンボル」。シンボルとは、会社ならロゴマークくらいのものだ。

天皇は日本国のロゴマーク

と言ったら、不敬だと言われかねないが、書いてあることはそれとほぼ同じだ。

そして象徴というのは、それだけでは実体を持たない。

象徴される内容を必要とするものだが、その内容は書かれていない。

実体を持たないものが天皇だと言っている。

「象徴」の感じこそは、先に書いた「空」の感じだ。

象徴とは、それ自体は空っぽである。

象徴されるものを、それがなんでも、象徴する。

「軍国主義の象徴」にも、なりうる。

象徴とは、何かに対して、別のたとえにすぎない。

「日本国とは、天皇のようなもの」
「天皇とは、日本国のようなもの」

と言ったら、いかにも変だとわかるのに。

が、それが、書かれたことである。

「象徴」は、なんでも入る箱のようなものだと思った。

その箱に「軍国」を入れたら、天皇は軍国のシンボルとなって、軍国は、機能したのだ。