漁獲量が最盛期の4割以下に…
しかしもう一つ大きな問題がある。それは、世界的な水産資源の減少である。
クジラ、マグロ、ウナギなどの資源量減少についてよく知られているほか、ホッケやハマグリなどの減少も報道されている。
『魚が食べられなくなる日』(勝川俊雄、小学館新書)によれば、日本の漁業のやり方にも問題がある。
1980年代に漁船ごとの漁獲枠を決めて漁獲制限をしているノルウェーなどでは、漁業者の労働時間が減り、漁業が成長産業になっている。
日本では稚魚などの種苗放流に力を入れているが「種苗法流よりも漁獲規制のほうが、資源の回復に有効である」と述べる。そして、日本では、設定されている漁獲枠自体が過剰になってしまっていて、資源を守ることに役立っていないことを指摘する。
日本の天然資源の漁獲量が1980年代後半から減少に転じ、2014年には最盛期の4割以下にまで減った現状も伝えている。

2018年の「今年の一皿」はサバ!
このように、消費者・供給側両方の事情から、平成の間に日本は、魚を食べることが難しい国になってしまったことがわかる。
ここで少し時代をさかのぼって、魚が豊富に出回っていた時代を振り返ってみたい。
昭和30~40年代の食事を全国で聞いたムックシリーズ『伝え継ぐ日本の家庭料理 魚のおかず いわし・さばなど』(農文協)を開くと、特に漁村の人たちの魚料理のレパートリーは豊富だったことがわかる。
焼き魚、煮魚だけでなく、さばいたうえに切って和え物にしたり、野菜などと一緒に煮物にしていたりする。マリネもある。数日持ちそうな料理が多いのは、足が早い青魚が豊富に出回っていた実態をうかがわせる。
それは、獲れた魚を大切に食べきる技術でもあった。半世紀前の日本人は、魚の食べ方を熟知した人たちだったのである。
平成も終わった今、昭和はすっかり遠くなったが、現代の魚食にも希望はある。
2018年、ぐるなび総研が毎年発表する、その年の世相を反映する「今年の一皿」にサバが選ばれた。それはこの年、サバ缶の消費量が急速に伸びたことなどの結果である。
缶詰は、魚を手軽に摂る方法と言える。鮮度を気にせず常温で長期間保存ができ、ゴミもほとんど出ない。そして、ほぐして炒め物やスープにするなど、さまざまな料理に応用ができる。レパートリーが広がれば、また作ってみようという気が起きるかもしれない。
サバ缶が注目された最初は、東日本大震災の復興支援のため、おしゃれな黄色と青のデザインで、オリーブオイル漬けなど洋風の味つけの缶詰「Ca va?」が開発され、メディアで紹介されたことだった。
東日本大震災は、魚食大国日本の私たちが、改めて魚を食べる、獲ることについて考えるきっかけをくれたのかもしれない。