数学と日常が交差する「博士の愛する世界」の見方

『数学の贈り物』森田真生に聞く
森田 真生

生後3ヵ月の息子の手術をきっかけに

―全篇を通じて、数学は哲学と親しいものだという考えが通底していて、数学がもつ豊かな拡がりに気づかされます。

哲学と数学は古来、密接に関係しています。mathematicsという言葉は、明治15年に「数学」と訳すように決められ、それ以降、数に関わる学問という狭い意味に限定されてしまいました。

ですが、この言葉は本来、「学ばれるべきもの」という意味のギリシア語から生まれた。一方、「哲学」という言葉も、そもそもはギリシア語で「愛と知」を意味する言葉ですよね。

数学と哲学に限らず、この本で僕は、人間の思考をなるべく狭い「分野」にわけようとせず、自由に、あらゆる思考のリソースを動員しながら考え続けようとしました。

―そんな哲学や数学と日常とが淡く交わるエッセイ集ですが、子育ての経験が綴られる箇所では、実生活と哲学的思考がより濃く結びつきます。

 

数学者の岡潔は、生まれたばかりの赤ん坊は、「喜びと懐かしさの世界にいる」と語っていました。僕も自分の息子が、喜びと懐かしさに包まれて生まれてくるものと信じていました。

ところが3年前に生まれた息子は、生後まもなく手術を受けました。手術は無事に成功しましたが、しばらくはとても喜びや懐かしさを感じる余裕などないような日々でした。

2年後、再入院した際には、4日間の絶飲・絶食を強いられました。その間、息子の唯一の楽しみは「きかんしゃトーマス」を観ること。作者・オードリーは、子供が2歳ではしかに罹った時に彼を励ますためにこの作品を作ったそうです。そのせいか、食事や体を動かす場面がでてこない。闘病中の子供にとってそうした描写がどれほど残酷か、痛感していたのでしょう。

ウィルバート・オードリー(Photo by gettyimages)

入院中の子供にとって「退院したら○○しよう」といった未来に希望を託す言葉は無力です。むしろ好きなアニメを観るという、一見、ありふれているように思えることが喜びとなる。

presentという語には「現在」という意味と「贈り物」という意味があるように、「いまいるこの場所」には、いつも小さな贈り物が隠されているということに改めて気づかされました。

―まさに、これから数学や人生の不思議を学ぼうという人たちへの贈り物にぴったりな本です。

まだここにいない、未来の人に届く可能性が本にはあります。現代の価値観に基づいて書かれたものは、将来の世代には同じようには理解されないでしょう。でも、だからこそ、その時に遅れてやってきた読者の人が、この本の中にある「いま」から何か新しい価値を見出してくれたら嬉しいですね。(取材・文/伊藤達也)

『週刊現代』2019年5月25日号より