東大教授が「知っている」と「考える」、どちらが大切か教えます

<日本史のツボ>のツボ 第2回
本郷 和人 プロフィール

「知っている」と「考える」の関係

このように、ほんの少し前まで、「調べる」ことはたいへんに困難な作業でした。これに対して、現代ではネットが何しろ発達している。スマホをちょいちょいと操作すれば、調べるのはたやすいのです。

それで、「知っている、知らないはたいしたことじゃない。知らなきゃすぐに調べられるじゃないか。それで十分だ」という認識が一般に広まっているように感じられます。

 

けれども。先ほどの事例を思い返していただきたい。「五条坊門東洞院太郎五郎男」。これ、どうやってスマホで調べればいいでしょう? スマホじゃなくても、どの辞書を引けば良いのでしょうか。そもそも、どこで切るのか。まあ四苦八苦して正解にたどり着いたとしても、とうてい「すぐに」には調べがつかないでしょう。

そうなると「知っている」ことはそれなりに、いや、かなり大切なことだといえそうです。

人間は問題に直面したときに、どうしたら良いかを「考える」。そうやって毎日を生きています。「考える」に際しては、自分が「知っている」ことを総動員して、それを材料として思考を紡いでいきます。

食材が不足してはおいしい料理ができないように、知識がないと、十分な考察は成り立ちません。「知っている」ことと「考える」ことは、不即不離の関係にあるようです。

歴史の名称からわかる「知性」の本当の意味

歴史をひもといてみると、長い期間、老人はリーダーとして重んじられています。それはまさに、この関係性ゆえなのです。

長く生きている老人は、様々な経験を蓄積しています。だから情報が不足している時代においては、老人こそは深く考えることが可能になります。

こういう予兆があるときは、こういう天候になりやすい。雨が多いとか、日照時間が短いとか、仮にそういう厳しい天候になっても、こういう作物ならば収穫が見込める。そうした生き延びる方策を考えられるゆえに、老人は共同体で尊敬されたのです。

知識が広く社会に共有されるようになり、年齢だけでなく才能だとか家柄が重視されるようになっても、共同体のリーダーを示す名称には、「乙名」とか「年寄」が用いられました。

江戸幕府でも「大老」・「老中」がリーダーで、それに次ぐ重責は「若年寄」。女性の世界でも、えらい人は「老女」。本当に老齢でなくても、老人は知性の代名詞だったので、こうした名が用いられたのです。

それでも「考えること」が大事

こうして縷々述べてはきたのですが、それでもやはり。はるかに重要なのは「知っている」ことではなくて「考える」ことなのです。

知らないならば、どんなに時間がかかっても、調べれば良いのです。自分が知らないことを素直に認め、よく知っている人にお願いして、教えてもらえばよいのです。

正しく知っていれば、正しく考えられる。「知っている」ことは、よく「考える」ための素材となる。「知る」ことは「考える」ことの準備段階と言えるかもしれません。

この関係性を踏み外してしまっているのが、中等教育(つまり、中学・高校)における「日本史」の授業ではないかとぼくは思っています。

高校生の教科書を作成する作業の現場で聞いたことですが、高校の先生方は子どもたちに「教科書に書いてあることは、原則として、覚えなさい」と指導するといいます。ああ、それでは日本史が嫌われるのも仕方がないな、とぼくは嘆息しました。

「暗記、暗記」の科目など、子どもたちが好きになってくれるはずがないではありませんか。暗記する必要なんてない