「女子力」という言葉は、どんなふうに私たちを呪縛しているのか

アンケート調査から見えてきたこと
菊地 夏野 プロフィール

「女子力」はこのような政治経済の新しい段階(ネオリベラリズム)に適合するものなのです。誰もが競争の中で日々身体を社会の秩序に適合させ、生産性(杉田水脈)を上げるように迫られる現代社会。

「女子力」は古いジェンダーの秩序を守りながらも、政治経済の新しいネオリベラルな要請に柔軟に応えること、そのために日々たゆみなく努力することを期待されています

言い換えれば、家事や子育てといった古い「女らしさ」を発揮することと同時に、その「女らしさ」を生かしながら労働力としても柔軟に力を発揮すること、この両者を求められているということでしょう。

産業構造の変容に伴い柔軟でフレキシブルなコミュニケーション能力が必要とされていることも女性性と親和的です。

〔PHOTO〕iStock

一方政治家や社長ではない一般のひとびとはどうかというと、やはりそのジェンダーの意識は変わり続けています。最近のフェミニズムの広がりやLGBTの姿を示す報道にも見られるように、性別を超えて自由に生きたい、という気持ちを持つ人は増えています。

ですが他方で、そんな変化に「ついていけない」、という不安な気持ちも多くのひとがもっています。激しい競争の中で男性たちも疲弊し、女性に癒しを求めるひとも少なくないでしょう。

こういう政治経済、社会の変化と変化しない部分と両方ひっくるめて生まれたのが「女子力」という言葉です。もっと女性に働いて欲しい、ただし平等は怖い、家事や子育て介護もやってもらわないと困る、でも古臭いのは嫌、という、わたしたちの気持ちが表れていると思いませんか?

 

性格まで「力」で測られる息苦しさ

ジェンダーに限らず、世の中は変わり続けています。人口も資源も減り競争が厳しくなるこの頃。小さい頃から様々な能力を伸ばして良い大学良い会社に入り、良い結婚をしないといけないという焦りが高まっています。そんな中、「女子力」は女らしさでわたしたちを癒しながらも日本の経済を救ってくれるかのようです。

ですが、どんな「力」であろうと女子、という性別でくくられている限り、自由ではありません。それに、家事や見かけ、性格などまで「力」という概念で測られるなんて、息苦しい。家の中でくらいだらだらしたいと考えるのはわたしだけでしょうか。

サラダの取り分けも、したい時はしたらいいですが、しないと女子力が低いといわれるのは面倒です。取り分けしたら「女子力高い」と褒められた経験のある男性で、そのことをあまり気持ちよく思っていないという回答もありました。自由回答では「女子力」という言葉への違和感や疑問もたくさん寄せられました。

男性であれ女性であれ、自分の行動や性格を性別にくくられてしまうのは気持ちいいものではないはずです。2015年に過労自死した電通社員の高橋まつりさんが、「女子力がない」と上司からパワハラされていたということを思い出してください。

政治経済についても、女性を労働力として期待するなら、性別に関わりなく、男性も女性も本当に働きやすい環境を整備すべきではないでしょうか。日本経済のために女子力を発揮しようとして疲弊してしまっては元も子もありません。

しかし、「女子力」流行の世の中を見ている限り、ひとりひとりが性別に関わりなく認められ、また、「力」の有無など気にすることなく自由に生きていける社会は、なかなか遠いようです。

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