進化は直線ではない。その理由を「低すぎる山」を眺めながら教えます

山はどこから山なのか?
佐倉 統 プロフィール

この進化学者は、実証研究だけではなく理論や哲学的側面や科学と社会との関係にも強い関心をもっている方で、研究者としての実力と評論家としての幅広さを兼ね備えた希有な方なのだが、優生学や社会ダーウィニズムなど、進化論がかつて社会的にさまざまな悪影響を及ぼした事例に触れつつ、「やはり研究者がもっともっと一般の人のところに降りていって、相互にコミュニケーションすることが大事だ」という主旨の発言をした(細部はあいまい。あいまいだけど今はこれで十分役に立つ)。

村上さんはそれを受けて、その意気やよし、是非そういう活動をどんどんやってくださいと激励し、最後に「ただ、ひとつだけお願いがあるのですが」と穏やかに付け加えた。

「一般の人のところに『降りていって』という表現は、使わないでください。専門家が一般の人より偉いわけではないのです。どうかそこはお願いします」と。

ハッとさせられた。

たしかに暗黙のうちに、専門家が一般より「高い」ところにいるイメージが作られていて、多くの人がそれを共有している。研究者に限ったことではない。スポーツ選手でも芸術家でも職人でも、一芸に秀でた者は「高みを極めた」と評される。

一方で、最近よく耳にするのが「深掘り」である。「この問題はおもしろそうなので、もうちょっと深掘りしてみようと思う」という風に、「より詳細かつ念入りに調査研究を進める」ことを指す。人工知能ベンチャーを立ち上げ、研究者としてもガシガシ突き進んでいる松田雄馬さんの野心的な近著『人工知能はなぜ椅子に座れないのか』(新潮選書)の帯には、「気鋭の研究者が深掘りする」と書かれている。

この「深掘り」、昔はそんなに聞かなかったと思うのだが、それはさておき、ここでは専門家の位置は日常の平面より低いところにある。下に掘っていくわけだから。

かたや「高く」、かたや「深い」。高低でいえば反対の言葉が、どちらも専門的に優れていることを表すのに使われるのは、おもしろい。一般の人々が生息している「水準面」から遠く離れるところに意義が見出されるのだろう。

両者がもうひとつ含意しているのは、高いにせよ深いにせよ、先に進むにつれて幅が狭まっていくことだ。山は裾は広く、頂上は尖っている。深く穴を掘っていくのも、掘り進むにつれて穴の径は小さくなっていく。狭い範囲を徹底的に極めるからこそ、一般の人には届かない境地に到達することができる。

深掘り深掘りすると穴は狭くなる Photo by Getty Images

しかし、やっぱり、深く深く掘っていって下に進んでいくことの帰結として、高い位置にある頂点を極めることができるというのは、ちょっと不思議である。

沈思黙考して思索を極めるのは「深い」が、今までにない技術を使って新しい領域を切り拓くのは「高い」イメージだ。

ざっくりいうと、人文系が「深い」で、理工系が「高い」のか。それはさすがに大雑把すぎるか。

いや、オチのない話ですみません。

進化の適応度地形

高みと深みがつながっているというのは、生物の進化もそうである。

進化というと、だんだんと良くなっていく、直線的な進歩のイメージを抱く人が多いかもしれないが、実際の生物の進化の過程はそのようなものではない。

進化進化は直線的ではない Photo by Vector Open Stock / Flickr

富士山のような孤立峰の頂上に向かって進むものではなく、たくさんの山が集まっているでこぼこの地形を上がったり下がったりしながら、あっちこっちにジグザクに進んでいくと考えた方がよい。

同じようなところに棲んでいても、暖かい気温に適応する個体もいれば、水のきれいさに適応する個体もいる。自然環境の「どこ」に重点的に反応するかは、種ごとに、そして個体ごとに異なる。

つまり、どの山に登るかは、種や個体によって違うということだ。