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進化は直線ではない。その理由を「低すぎる山」を眺めながら教えます

山はどこから山なのか?
2日連続更新「東大教授にお題エッセイを頼んでみた」。佐倉統先生は「高低差」というテーマに「高み」と「深み」をつなげて挑みました。進化のプロセスについても入門できる力作長編です!

山と山裾の境目はどこ?

大阪にある天保山は、標高4.53m。日本でいちばん低い山だ──と思っていたのだが、実は2番目らしい。いちばん低いのは仙台の日和山(標高3m)だそうだ。

天保山周辺は公園やショッピングセンターになっているが、お世辞にも栄えているとは言えない。大きなマンタが人気だった水族館《海遊館》は今も健在だが、個性的で魅力的な美術館だったサントリーミュージアム[天保山]は、サントリーはすでに経営から手を引いていて、現在は「大阪文化館・天保山」となっている。

さて、ぼくが気になるのは、どれくらいの高さがあれば「山」になるのか、だ。

天保山天保山に立つ看板 Photo by PhotoAC

高低差が3mや4mの盛土は、他にもあるだろう。天保山や日和山は「山」と名を付け、国土地理院が認定したから山になったわけだが、普通の感覚からしたらこれらを「山」と呼ぶのは抵抗がある。少なくともぼくは、ある。

「山」なのか「盛土」なのかを分けるのは、ぼくたち人間の認識であり、制度である。山という存在と概念は自然物ではなく、社会的に構築された人工的なものであると言ってよかろう。

大学院時代、サルがなぜ群れて暮らすのかに興味があったぼくは、「群れ」のもつ機能をあれこれ研究していた。

そもそも動物全般、なぜ集団で生活するかというのは、進化生態学上の大きな謎のひとつであり、さまざまな研究がなされてきた。それらをざっくり総合すると、集団生活のメリットは、外敵から身を守る、餌のありかを発見しやすくする、相互に助け合いができる、などがある。

そして、それぞれの機能ごとに、適した集団サイズが異なる。たとえば採食のときは大勢いると自分の取り分が減ってしまうので小さい集団が良いし、外敵に対抗するときは大きな集団が良い。

実際、ニホンザルでもチンパンジーでも、採食するときは個体どうしかなりばらけて、言わば小さな集団を作るが、危険な場所ではぎゅっと集まって大きな集団になる。

ということは、単一の「群れ」という概念でサルの社会生活を見ることは不適切なのではないか。

サルの群れPhoto by Getty Images

人間だって、職場の会議の時、食事をするとき、家族で暮らすとき、集団の構成もサイズもさまざまだ。これらを全部ひっくるめて「群れ」とは呼ばない。サルやチンパンジーだって同じではないか。サルの「群れ」という概念は不要なのではないか──そんなことを考えていたのである(ちなみにこれがぼくの博士論文の一部になった)。

だが、サルの「群れ」のあいまいさを強調するぼくを、当時の指導教員だった河合雅雄さんは、こう言ってたしなめた。