台湾と金沢、忘れられた2つの「民衆蜂起」が僕らと「関係ある」理由

隠喩としての「斜面」
水越 伸 プロフィール

金沢城から見てこの山が北東方向、鬼門だったために神社仏閣で鬼門封じをおこなったこと、江戸時代初期まで強い勢力を持っていた一向宗(浄土真宗)に対抗するため、それ以外の宗派の寺を集めたこと、その寺院群を軍事防衛線としたことなどが理由らしい。

卯辰山卯辰山にある宝泉寺 Photo by Getty Images

そしてそれら神社仏閣が培った文化的空間に、近代以降、さまざまな記念碑などが建てられることになったのである。

卯辰山の斜面に農地はあまり見当たらないが、さまざまな観光スポットはある。かつては山頂付近に動物園や水族館、ユースホステルもあった。蓮如上人像、泉鏡花の句碑から、日本のマッチ産業を生み出した清水誠の顕彰碑まである。

山の麓には、安政の泣きの一揆を起こした能登屋佐吉をはじめとする7名のリーダーたちを奉った七稲地蔵もある。

テレビや雑誌で金沢が取り上げられるときに、必ずといっていいほど映し出されるのは、卯辰山中腹から浅野川越しに黒い屋根瓦の伝統的家屋をのぞむシーンだ。夜には金沢の夜景を一望にできるレストランやカフェが賑わう。

斜面の可能性

霧社事件も安政の泣きの一揆も、高低差が必然的にはらんだ上下関係を下敷きとした蜂起だった。

一つは植民地支配と虐殺の歴史であり、もう一つは階級社会と一揆の歴史である。

台湾人は霧社事件を忘れないだろうが、ほとんどの日本人はこの事件を含め、半世紀におよんだ植民地台湾のことを忘れてしまっている。

合歓山台湾中央山脈合歓山近辺 (筆者撮影)

一方の安政の泣きの一揆のこともまた、金沢市民でさえほぼ知らないし、仮に知っていたとしてもずいぶん昔の、自分とは無関係の歴史物語だと思っている。

斜面は、このような忘れられた歴史を取り戻す直接的な手段にはならない。しかし高低差がある場所に生きる人々を地理的、産業的に支え、高いところと低いところの人々が交流し、歴史的当事者とその歴史を忘れた人々が出会う場を生み出しうる。

斜面は、絵空事のような道徳論や贖罪論ではないかたちで、高低差がもたらした歴史を人々が回復し、克服していくための、現実的で実践的な可能性を秘めている。

そしてその可能性は、たんなる地理学的な意味合いを超えて、世界各地で分断された民族やジェンダーを再び結びつけたり、歴史を忘れずに未来へ踏み出す方法の可能性の隠喩となっているのだ。

【参考文献・情報】
・かつおきんや『安政五年七月十一日』牧書店、1970年
・伊藤潔『台湾 四百年の歴史と展望』中公新書、1993年
・ウェイ・ダーシェン監督『セデック・バレ』台湾映画、2011年
 http://www.u-picc.com/seediqbale/(日本語公式ウェブサイト)
・ゲオルグ・ジンメル著/北川東子・鈴木直訳『ジンメル・コレクション』ちくま学芸文庫、1999年

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