元フジテレビアナウンサーで、2000年よりパリに在住、フリーアナウンサーとして活躍する中村江里子さん。三世代どころか、江里子さんが高校1年生まで四世代が同居する大家族で暮らしていた。四世代同居の立役者は、母方の実家で曽祖母そして祖母と一緒に暮らすことを決断した父親の清郎さんだったという。

実は江里子さんは清郎さんを2005年にがんで亡くしている。家族で寄り添うことはなにか、家族にできることはなにか――当時のことを、エッセイ集『女四世代、ひとつ屋根の下』より、抜粋掲載する。

父・清郎さんと江里子さんの3人姉弟。商社マンでしばらくタイに駐在していた 写真提供/中村江里子

寡黙で照れ屋だった父

父との思い出を笑って話せるようになったのは、亡くなってから数年経ってからのことでした。

父はあまり自分のことを話す人ではありませんでした。でも、普段、口数が少ないぶん、怒ったときは怖いのです。怒鳴るタイプではなかったけれど、最後に父が一言口にすると、それはその話はもう終わりにしようというサインでした。

わたしがお勤めしていたときには、よくデートもしたんですよ。もちろんわたしから誘って、です。父のほうから誘うなんてことはまずありえませんから。二人で食事をしに行くのですが、そのときも照れくさそうにしていて、主にわたしが話していました。父はそんなわたしの話をうなずきながら聞いているのです。

口数の少なかった父は、カラオケに行っても、自分は歌わずにタバコをふかしながら、みんなの歌を聞いているだけ。母が主宰する十字屋ホールのイベントでも、音楽を聞きながら、ひとりでウイスキーの水割りを飲んでいました。はたから見るとつまらなそうに見えたかもしれませんが、父はみんながわいわい騒いでいるのを見るのが楽しかったのだと思います。

そうそう、父が亡くなったあとに父の友人に聞いた話ですが、父はお酒が入ると、いつも家族の自慢話をしていたそうです。

「よくお嬢様や息子さんのお話を楽しそうにされていましたよ」

え〜! そんな素振りは一度も見せたことはなかったし、聞いたこともありません。家族一同、ものすごく驚きました。本人には伝えられなくて、外で発散していたのかな。それにしても、いったいどんな顔をして話していたのでしょう?

突然の余命宣告

父の余命宣告は、ほんとうに突然の出来事でした。平成17年3月末、「もって3ヵ月、延命治療をしても半年」と、宣告されたのです。

父は若い頃に胃の一部を切除していて、普通の方の3分の一程度しか胃がありませんでした。お酒とタバコは嗜みますが、そのぶん食事は健康的なものをとるようにしていたので、健康診断などで異常が見られることはありませんでした。でも、少しずつ病気が体をむしばんでいったのでしょう。

平成17年に入ってからは体調を崩し、3月にハワイで行われた弟の結婚式から戻ったあとに検査をすることになっていたのです。実はもっと早くに検査をすべきだったのですが、父は弟の結婚式が終わってから……と。帰国後、予定どおりすぐに検査を受けたところ、末期のすい臓がんを宣告されました。