お芝居をするとき、自分に来た役を、
どれだけ幸せにできるかを考えます
「ミドリさんもうちの母も、“母親”として自分の理想を押し付けたり、あれこれ世話を焼いたりするのではなく、一番身近な“傍観者”でいてくれるんです。子供だからといって子供扱いはせず、きちんと自我を持った一人の人間として扱ってくれている。何が正しいのか、何をしたいのかを、自分で考えさせて、決めさせてくれる。それは、娘を信用して、愛してくれているからこそ、できることなんじゃないかと思います」
相手を信用して、全力で愛する――。それは、松岡さんに、「役を演じるときに、一番大事にしていることはなんですか?」と質問したとき、返ってきた答えによく似ていた。
「お芝居をするとき、私は、自分に来た役を、どれだけ幸せにできるかを考えます。その女の子には、きっと自立した意思があるだろうし、見えないけれど、魂もあると思う。もしかしたら、他にもっとその役に合う人がいたのかもしれないけれど、私に任せていただいたからには、その役の持つ魂に、ちゃんと成仏してほしいんです。私が演じながら、彼女に、『あれ、私そんな風に思ってないのに』というような、悲しい思いをさせたくない。役のことは私が一番近くで、愛していたいと思う。演じるとき、一番大事にしていることはそれです」
だからだろう。彼女の演じた役は、出番が長かろうと短かろうと、観る人の心に残る。昔懐かしい友人のように。なり損なった自分のように。弱さも強さも人間臭さも、高潔さも愚かさも24歳という年齢を考えさせず、役を通して表現できる。では、その愛のエネルギーはどこから来るのか。
「一つは、彼女たち(役)に報われてほしいという思い。もう一つは、やらなきゃご飯が食べられないからです。もちろん、頑張る理由は、“こういう人に届いてほしい”“こういう方がこういう風に思ってくれたらいいなぁ”や“両親に喜んでもらいたいな”“もう10年も会っていない、あの子に見てもらいたいな”など、たくさんたくさん、いろんな思いがあります。
でも、根底にあるのは、“演じることがお仕事”“役の女の子たちに報われてほしい”というその二つですね。もちろん、お芝居は好きだし、好きじゃなきゃやっていられないとも思うけれど、あまりに“好き”って気持ちを大事にしすぎると、そこに執着しすぎて、苦しくなる。
私もある時期まで“好きだから”ということだけで突っ走って、自分が辛くなる経験を何度か繰り返してきたんです。映画を撮っていても、監督に『私はこう思うんです!』って、自分の思いをストレートにぶつけてしまって、現場の流れを止めてしまったりとか。それが、“これは、あくまで仕事なんだ”と思うことで、少しラクになれました。
きっかけは、20歳の時にある先輩から、『俳優は、一生懸命役を演じることでお金をいただく。頑張る対価をもらっている。それに対して、周りに何を言われようと関係ないでしょ』という言葉をいただいたことです。その言葉は本当に大きかった。
100%でやって、お金をいただくことで、私たちのお仕事は、一旦完結する。そんなシンプルな構造を受け入れられたとき、作品に対して、嬉しい言葉や嬉しくない言葉をいただいて、一喜一憂することがなくなった(笑)。ものすごく忙しい時期でもありました。演じることは大好きだけれど、“仕事なんだ”とはっきり認識できたことで、ラクになっただけでなく、自分自身がもっと軽やかでいられるのかなと思いました。誰から聞いたかですか? それは内緒です。私のためにくださった言葉なので……」