photo by iStock

「失われた30年」を体感した経済ライターが、令和に切に願うこと

「凋落の時代」は覆せるのか…

どうやら高校卒業までがバブルだったらしい

昭和が終わったのは1989年、中学3年生の正月が明けてすぐだった。昭和天皇が病気の時、日産のCMで井上陽水が車の中から言う「お元気ですか?」という台詞が不謹慎だとかで口パクになったことを、やけに覚えている。

photo by iStock

昭和天皇が崩御された日、学校が急に休みになったので、同級生とボウリングをしに行って不良の高校生に絡まれた記憶がある。

日経平均株価が史上最高値の3万8957円をつけたのはその年、平成元年の年末だった。1989年12月29日の大納会で、それから株価は下落し続けるのだが、日経平均株価が2万円を切った1992年3月まで3年近くも日本人は不景気だと気づかず、呑気にバブル景気に浸っていたというのが驚きだ。

中高生だった私には世の景気のことなど分からないのだが、高校卒業までがバブルだったらしい。

東芝のOLだった従姉妹や花の女子大生だった姉は、フランスやイタリア旅行に行って「日本で買うよりずっと安い」と一足3万円も5万円もする靴を何十万円分も買って帰った。鏡台には口紅とかマニュキュアとか何だかわからない化粧品が乗り切らないほど溢れていたことを記憶している。

従姉妹は東芝EMIと契約していたRCサクセションのサンプルCDをたくさんくれて、姉と私はファンになった。忌野清志郎が大好きなOLってのも今思えばセンスがいい。

あれから30年、平成が終わった。私が一部上場の金属メーカーに入社した1997年には、日本景気はどん底に冷えていた。

「なんで売れないんだよ!」と直属の課長は部長に怒鳴られ、部長は事業部長に怒鳴られ、事業部長は取締役会で怒鳴られるという、不毛な怒号の連鎖と責任のなすりつけあいが行われていた。誰も責任なんて取りはしないのに。実際に責任を取らされるのは役職のない人や工場で働く人たちだった。

 

新入社員の私が予算の未達で怒鳴られることはなかったが、先輩からは上司の愚痴をこぼされ、課長からは「あの頃はさ……」とバブルの思い出を語られた。

ある日、正面に座っていた50代後半の人が「肩たたき」にあった。リストラ時代だった。世間ではなぜか大規模なリストラを断行する経営者が有能とされ、分社化とリストラしただけの私のいた会社の社長は経済誌の有能経営者リストに載った。私が関わっていた雑誌でその名前を見つけた時は心底驚いた。

私がサラリーマンを辞めて3年ほどたちライターになった2003年ごろ、ビジネス誌の取材をしていると当時の経済評論家はみな、「失われた15年」という言葉を口にした。私も何度その言葉を記事に書いたかわからない。それはそのうち、「失われた20年」となり、「失われた25年」となった。

どん底の7000円代からは回復したとはいえ、現在の日経平均株価は2万2000円前後だ。平成元年の最高値にははるか届かない。平成とは、バブル以後の「失われた30年」そのものになってしまった。

私は社会人になってからというもの、不景気しか経験していない。フリーライターになったのち小さな編集会社を作ったが、特にリーマンショックの年の仕事の落ち込みはひどかったし、東日本大震災でも大きな仕事が飛んだ。

ちなみに世界を見れば、どんなひどい暴落があっても、30年間も株価が戻っていない国など世界にはまずない。ちなみに平成年間の日経平均株価は3分の2になったままだが、アメリカのダウ平均株価は、平成元年(1989年)の2753ドルから、平成30年には2万6656ドル(4月21日)へと、ほぼ10倍になっている。ITバブル崩壊やリーマンショックがあっても、3年後には必ず回復し、最高値を更新しているのである。

出典:世界経済のネタ帳