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「2権分立」という観点から考えてみる、日本という国の継続性

伝統でもあり先端でもあるのでは

令和元年

5月1日に新天皇が即位され、令和元年となった。

平成の30年余りを振り返ってみれば、平成2年にバブル崩壊(東京株式市場の暴落)となりその後失われた10年間どころか、30年にわたってどんよりとした時代が続いた。したがって、10連休で鋭気を養って(筆者のようにその恩恵を受けることができない国民も多いだろうが……)、令和の新しい時代に積極的に挑戦するという機運も高まってきているような気がする。

ちなみに、昭和金融恐慌も昭和2年に起こっている。その後1929年(昭和4年)のニューヨーク株式市場大暴落を経て、昭和5年からの昭和恐慌へとつながる。が、逆に明治2年と大正2年にはそのような特記すべき事件は起こっていないようである。

念のため、貴族の反対を恐れ、明確な遷都の指令が行われなかったので、京都の人々は「天皇陛下はちょっとお出かけになった」と、京都が今でも首都だと主張するが、いわゆる東京遷都は明治2年のことである。

さしたる根拠はないが、30年も続いた平成、低迷の時代の後に繁栄の時代がやってくると期待しても良いのではないだろうか?

老子は、世の中の出来事を「しゃくとりむし」に例えている。しゃくとりむしは、縮んだり伸びたりしながら前に進む。伸びたままで縮まなければ、前へは進めない。

同じように、経済・社会も伸びきったままでは前へ進まない。縮小したままだった平成の経済は、終盤になってから伸び始めた。令和はもしかしたら最高に伸びきった状態に到達するかも知れない。もっとも、その後の時代には、再び大きく縮んでしまうことになるが……。

 

象徴天皇制はGHQの押し付けでは無い

さて、日本において元号と切っても切り離せないのが天皇制である。この天皇制は、日本国憲法にも明確に規定されているように「象徴天皇制」であり、天皇は国政の実権を持たない言葉通りの象徴である。

「日本国憲法は、日本の敗戦後GHQに押し付けられたのだ」という議論がある。確かに外見的にはそのような部分が多々ある。しかし、この「象徴天皇制」に関しては、日本の1300年に及ぶ歴史の中ではぐくまれてきた素晴らしい制度であり、決してGHQの押し付けでは無いと考える。

むしろ、明治維新の際に「文明開化」という掛け声で「何でもかんでも西洋がすぐれている」という馬鹿げた風潮のおかげで行われた廃仏毀釈同様、失われた日本の素晴らしい伝統の1つが2権分立である。

2権分立という言葉は、読者になじみが無いと思うが、3権分立という言葉はよくご存じだろう。国家権力をどこか1つに集中させるのではなく、立法、行政、司法という3つに分散させ、蛇とマングースとサソリのにらみ合いのようにお互いけん制して、どこか1つが絶対権力を持たないように監視し合うことである。

現在の先進国において、この3権分立が理想的に機能しているとは言い難いが、発展途上国の軍事政権や共産主義国家においては、このシステムが全く機能せず悲惨な状況であるから、先進国では3権分立は一定の役割を果たしているといえるだろう。