乙武義足プロジェクト」――先天性四肢欠損として生まれた乙武洋匡氏が、テクノロジーの最先端を行くロボット義足を装着し、2本の足で歩こうとしているのをご存知だろうか。エンジニア、研究者、デザイナー、義肢装具士、理学療法士といった多くのプロフェッショナルたちがサポートし、乙武氏の歩行技術獲得の道を伴走している。

実はこのプロジェクトを立ち上げたのが、エンジニア・遠藤謙氏だった。かつて乙武氏との対談の場で「乙武洋匡サイボーグ化計画」を考えていることを伝え、「プロジェクトに協力してほしい」とオファーしたのだ。

連載7回目の今回は、遠藤氏がなぜ義足の開発に情熱を傾けているのか、その理由に乙武洋匡が迫る。

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「義足への情熱」の理由

遠藤氏はなぜ、「義足」にこれほどまでの情熱を傾けるのだろうか。それは、彼が義足に携わるようになった経緯を知れば、理解できるかもしれない。

21世紀の最初の年、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」が発表された。右足、左足、右足と足を交互に出しながら進むASIMOを見て、慶應義塾大学理工学部四年生だった遠藤氏は「自分もこんなロボットを作ってみたい」と興奮した。翌年、大学院に進むと二足歩行ロボットの研究にのめりこむ。宇多田ヒカルのプロモーションビデオに出演したロボットの開発に関わったこともあった。

学生時代の遠藤氏。ASIMOは2000年に発表された 写真提供/遠藤謙

研究者としての実績を積み重ねるなかで、大学院卒業の前年、遠藤氏の人生を一変させる出来事があった。

静岡県立沼津東高校バスケットボール部の4歳年下の後輩・吉川和博さんの左膝が「骨肉腫」に侵されていると知ったのだ。切断もありうるとの診断だったが、腫瘍部分を取り除き、膝の骨を切除し、人工関節を入れる手術を行った。しかし癌は肺に転移し、人工関節の痛みも消えなかった。

吉川さんはまだ21歳だった。学年は離れていたが「謙さん、謙さん」と人懐こく話しかけてくる後輩だった。「大学で何をやっているんですか?」と聞かれて人工知能とロボット研究について話したとき、「すごいですね!」と目を輝かせて喜んでくれた姿が忘れられなかった。

「僕は自分の足で歩きたい」

化学療法に苦しむ吉川さんを「なんとかして励ましたい」と思った遠藤氏は、病院に吉川さんを見舞ったとき、パソコンに保存した二足歩行ロボットの動画を見せた。それが後輩を勇気づけることになると思ったからだ。それは、頭まですっぽりと収まる搭乗席から二本の足が伸びていて、手元のジョイスティックで操縦を行うロボットだった。

「こんな研究が進んでいるよ。和博を乗せたいな」

遠藤氏はそのロボットが歩く近未来的な動画を見せながら、そう言った。

足がなくても、自在に移動できる未来はすぐそこまできている。遠藤氏なりの励ましだったのだが、吉川さんの反応は芳しくない。

でも僕は、自分の足で歩きたい

この言葉はショックだった。「自分の足で歩きたい」という吉川さんの思いと自分の研究の間には、高い壁が存在していると痛感した。

吉川氏(写真左)と遠藤氏 写真提供/遠藤謙 

その日以来、遠藤氏は強く願うようになった。

吉川さんの役に立つものを作りたい。

人型をしたロボットの研究をやめた。

ASIMOに憧れてロボットの世界に飛び込んだ遠藤氏だったが、大切な人の望みをかなえるために、義足の世界へ大きく舵を切ったのである。