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ピエール瀧が笑ってはいけないのか? 「罪と友情」を混同する人々へ

石野卓球の態度から学ぶべきこと

石野卓球さんのツイート

電気グルーヴのピエール瀧さんが、コカイン使用の容疑で逮捕されたあと、4月4日に保釈された。保釈の際は、警察署の前で深々と頭を下げて謝罪する様子が、何度もテレビで流された。

そして、それから3週間後の4月25日、同じく電気グルーヴのメンバーで、長年の盟友である石野卓球さんが、瀧さんと肩を組み合って笑う写真をツイッターに投稿し、「一カ月半ぶりに瀧くんと会ったよ。汗だくになるほど笑った!」と報告した。

こちらまで思わず笑顔になるその写真を見ながら、私は素直に「良かった」と思った。そして、次第に胸が熱くなった。

篤い友情だとか、世間の常識への反抗だとか、いろいろと論評する人はいるが、何も知らない第三者が訳知り顔で論評するのも憚られるほどに、素直に「いい写真」だと思った。

もう1枚の写真には、ただ単に「電気グルーヴ」とだけキャプションが付けられており、それがすべてを物語っているように思えた。

 

投稿への批判

これらツイートに対しては、現時点で50万を超える「いいね」が付いている。しかし、その一方で、さまざまな批判がなされていることも事実だ。

たとえば、ある匿名の人物は、ツイッターで「問題なのは石野卓球……ピースはないやろ、石野くんさぁ?新たな逮捕くるか」などと茶化したかと思うと、同人のブログでは「悪は成敗しなければと思いすぐに切り込みましたよ」と書いている。もちろん、こちらも匿名である。薄っぺらい「正義感」をひけらかしてはいるが、この振る舞いは果たして正義なのだろうか。

また、「芸能人は犯罪も許されるんですか?」などという頓珍漢なコメントを、やはり匿名で寄せている者もいる。それに対して石野さんは律儀にも「んな訳ねえだろ」とコメントを返している。

これを見ると、彼は「友人としてのピエール瀧」と、その友人が犯した「罪」を混同して、うやむやにしようとしているのではないことがわかる。むしろ、「罪」と「友情」を混同しているのは、批判をしているほうである。

「罪」は裁判で裁かれるものであり、しかもその裁判はまだ始まってすらいない。なのに、次々と軽々しい批判や「吊し上げ」を続ける人々は、「私刑」をしているのと同じだ。仲間と肩を組んで再会を喜ぶことは、罪をもみ消そうとする企みではないことは誰にでもわかる。