明仁上皇が作り上げた「平成の天皇像」は令和に引き継がれるか

改元を機に考える「象徴とは何か」
原 武史 プロフィール

「玉音放送」に酷似している

しかし一方で、この「おことば」の形式は、前述したように「玉音放送」に酷似していました。「8月8日の15時から」と放送日時を指定した上で、天皇自らビデオメッセージで10分間にわたって、政府や議会を通さずに「天皇が国民に直接語りかける」――。

「おことば」の内容の面でも、明仁天皇が昭和天皇の玉音放送を意識していたことは明らかです。

例えば、終戦の詔書には、「常ニ爾臣民ト共ニ在リ」「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」といった言葉がありました。「おことば」にも、「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり」「国民の理解を得られることを、切に願っています」という、これらときわめてよく似た言い回しがあります。

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論理構造も似通っています。終戦の詔書では、大戦の趨勢が枢軸国にだんだん不利になってゆき、イタリアやドイツが降伏し、ついに日本も降伏せざるを得なくなったことについて、昭和天皇は、「世界ノ大勢」「時運ノ趨ク所」と述べています。

同様に「おことば」では、国王や女王の生前退位が国際的にも増え、自らもそうした世界情勢、時代の流れの中で退位するということを、明仁天皇は「日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し人々の期待に応えていくか」という言葉で表現したのです。

この「おことば」に対する世論の反応は、天皇の「決断」を温かく受け入れようとか、天皇自身が語りかける姿を見てテレビの前で「厳粛な気持ちになった」というものがほとんどで、垣間見えた「天皇の権力」「天皇の政治性」について、日本人はあまりにも無頓着でした。

 

天皇の意向を「忖度する」日本人

天皇が自ら、政府も議会も通さず全国民へのメッセージを発表する事態に、現代の日本社会は「例外」をもって対処するほかありませんでした。政府は有識者会議を開いて、退位を「一代限りの例外」として認め、「おことば」と天皇の意思を追認することになりました。国民も、「高齢だから仕方ない」といった「ふわっとした民意」でそれを受け止めた。

要するに、「おことば」が発せられた後から、国民は上から下まで「そうそう、実は私たちもそう思っていたんですよ」と、「おことば」が「民意」の反映であるかのように振る舞ったわけです。「本来ならば、このような事態に至る前に、皇室制度や天皇のあり方について国民の側できちんと議論しておくべきではなかったのか」という反省すらありませんでした。

さらに踏み込んだことを言えば、日本国憲法の規定に反して「天皇が政治性を発揮すること」に無警戒になっているのです。

国民の中には近年、天皇の意向を忖度し、天皇を「政権の横暴を抑制する、もうひとつの権力」などと称揚する向きさえありますが、そのような考え方はかつて「皇道派」と呼ばれたことを理解しているのでしょうか。特に、いわゆる「リベラル」を自認する人々がそのような主張をするのは、大いなる矛盾と言えるでしょう。

なぜ、大きな権力の発露であった「おことば」が、平成の日本で無抵抗に受け入れられたのか。なぜ私たちは、天皇から「ボールが投げられた」にもかかわらず、その中身を主権者として吟味することもなかったのか。

国民の無知や無反省ももちろんですが、おそらくは、かねてから退位を視野に入れていた、明仁天皇の「戦略」が奏功した面もあったと思います。