「勝つ」とはどのようなことか

【5分de名著】宮本武蔵『五輪書』訳注:鎌田茂雄 ②
講談社学術文庫 プロフィール

[訳者解説]見えざる敵に対する

主君のため、我が身のために名声をあげ、身を立てるのが兵法の功徳であるというのは、武蔵が世間一般の武芸者に対して言うのである。この『五輪書』はわが兵法を世に伝える目的で書かれているために、世間一般の武芸者に共感を得る必要もあろう。

 

武蔵自身もこのほとんどの人生が兵法によって名をあげ、禄を得ること、すなわち仕官して立身出世することに己れの全存在をかけたのである。この自分の情念をかくすことなく、ここに淡々と記したまでのことなのである。

しかし晩年になると名声をあげ立身するという願いはまったくなかった。名声をあげる必要なしと悟った武蔵はおそらく武芸者からの真剣勝負を避けたこともあったにちがいない。勝負を避ける時、世間の人々は武蔵は臆病風に吹かれているというであろう。

しかし武蔵の晩年は世評をまったく無視した。無視したということもなかった。どんなに悪口を言われてもまったく自らの心を動かすことはなかった。万理一空の自由無礙なる境地に達した武蔵にとっては悪口とか評判とかの世界をまったく超脱していた。

しかし世間一般の通念からここでは名をあげ身を立てることができるのも兵法の功徳である、と言ったにすぎなかった。人に勝つことは己れに勝つことである。それに勝つことは己れの欲心を無にすることである。真に勝つことを極めるのは人生の至極の道理に挑戦することなのである。

これに挑戦することを志した者は、まず一日の初めに端坐正念し、今日一日を勝ち抜くための精神の構えをしっかりと確立する必要がある。見えざる敵に対してはっしと打つ気魄をまず朝の精神の構えとする必要がある。

著・宮本武蔵 訳注・鎌田茂雄 『五輪書』より 第三回はこちら