photo by Gettyimages

「勝つ」とはどのようなことか

【5分de名著】宮本武蔵『五輪書』訳注:鎌田茂雄 ②

講談社学術文庫がデジャビュ感あふれるタイトルでおおくりする「5分de名著」。顎寿文庫におさめられた東西の名著を「チラ読み」していただきます。前回に引き続き、宮本武蔵『五輪書』から。

「地の巻」より「夫れ兵法といふ事、武家の法なり」

〔訳文〕
兵法というものは武家のおきてである。将たるものはとくにこの兵法をおこない、兵卒もまたこの兵法の道を知る必要がある。今の世の中で兵法の道を確実に体験しているという武士はほとんどない。

 

まず道があらわれているのは、仏法では人を救う道があり、また儒道には文の道を正すものがあり、医者には諸病をなおす道がある。あるいは歌人は和歌の道を教え、あるいは茶人や弓道者、そのほかのさまざまな芸能者などがあり、それぞれ思い思いに稽古し、心にまかせてたしなんでいる。ところが、兵法の道をたしなむ人は稀にしかいないのである。

まず武士は文武二道といって、文と武の二つの道をたしなむことが大切である。たといこの道に才能がなくとも、武士たるものは自分の能力に応じて兵法を修行することに努めるべきである。
だいたい武士の信念を考えてみると、武士は平常からいかに立派に死ぬかというふうに思われている。死を覚悟することにおいては武士ばかりではなく、出家であっても、女であっても、百姓以下に至るまで、義理を知り、恥を思い、死ぬところを決心することは少しもかわりがないのである。

武士が兵法をおこなう道はどんなことにおいても人に勝つということが根本であり、あるいは一人の敵との斬合いに勝ち、あるいは数人との集団の戦に勝ち、主君のため、わが身のため名をあげ、身を立てようと思うことである。これは兵法の功徳なのである。

また世の中にたとい兵法の道を習っても、実戦には役にたたないという考えもあるであろう。その点については何時でも実際に役にたつように稽古を重ね、あらゆることについても役にたつように教えること、これこそが兵法の真の道である。

[解説]宇宙の気と個の気がひとつになる境地

〔付記〕
人に勝つ死を覚悟することは武士だけではない。僧も百姓も女性ですら死を覚悟することはできる。武士たるものが他の一般の人々と異なるのは、一体何であるのか。

武士の兵法をおこなふ道は、何事においても人にすぐる、所を本とし、云云

と武蔵が言うように、武士が武芸をたしなむのはどんなこと、どんな場合においても人に勝おっことを根本とするからである。武士の兵法においては敗けることは許されない。敗けることはそのまま死に直結する。死と生か紙一皮において対しているのが武士の闘いである。
だからこそどんな場合においても絶対に勝たなければならない。理由の如何を問わず勝たなければならないのである。

武蔵はそれを具体的に、

或は一身の切合に勝ち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是、兵法の徳をもつてなり。

と言う。兵法者が勝つことにはさまざまな場合がある。一人対一人の斬合いの場合もある。あるいは数人との戦闘の場合もある。一人が数人に勝ることは武蔵が自らの死闘を通じて得た教訓なのであった。それは個が衆に勝つということなのである。

個の力は無限に延ばすことができる。個の力を錬磨することによって個は個ではなくなる。個は無限の力を備えた個となってゆく。このような個は天地一杯に充満する個となる。
哲学者が個即全とか、一即多などというのは頭で考えたざれごとにすぎない。個は身心の錬磨によって宇宙に遍満する個となる。それは宇宙の気と個の気が一つになるからである。この点をとらえて『五輪書』は「数人の戦に勝ち」というのである。