4月29日は、昭和天皇の誕生日である。「みどりの日」を経て、今日では「昭和の日」となっている。
昭和天皇の言葉で、いまもっとも振り返るべきは、間違いなく1946年元旦の詔書、いわゆる「人間宣言」だろう。それは平成、そして令和を読み解く鍵としてなお重要な位置を占めている。代替わりを前に、これを振り返るにしくはない。
そもそも「人間宣言」は、人間宣言ではない。これは通称であって詔書の正式な題ではないし、本文にも「人間」という言葉は使われていない。
そのため、この詔書は「新日本建設に関する詔書」と呼ばれることが多い。やや長いので、以下では「人間宣言」を「元旦詔書」と呼ぶこととしたい。
では、「元旦詔書」のなかで「人間宣言」にあたるといわれる箇所を引用しよう。
ここでは、(1)「天皇は現人神である」という考えが架空であること、そして(2)天皇と国民との間の結びつきは、このような架空の考えにもとづくものではない、ということなどが述べられている。
現人神(=現世に現れた神、現御神)でないのならば、われわれと同じ人間ではないのか。つまり「元旦詔書」はやはり人間宣言ではないか。そう思うかもしれない。だが、実際はそう単純ではない。
このことを理解するためには、「元旦詔書」の成立事情を振り返る必要がある。
「元旦詔書」は、もともとGHQの主導で起草された。その草案では、マッカーサーの意向を受けて、「天皇は神の子孫(神の裔)ではない」という趣旨の記述があった。
ところが、天皇やその側近の抵抗で、最終的にその部分が「天皇は現人神ではない」と書き改められた。侍従次長を務めた木下道雄の『側近日誌』にそのことが記されている。
この書き換えはもっともだった。
というのも、天皇が「神の子孫」(つまり、天照大神の子孫)でなく、ただの人間なのだとなれば、「なぜただの人間が天皇をやっているのか」ということになり、ひいては天皇という存在の否定につながりかねないからだ。