24歳でリウマチを発症したフリー編集者の小西恵美子さん。母親が若くして発病し、苦しみながらこの世を去った姿を見て来たため、リウマチが完治しないと認識していた。

実は昨今、一大決心で薬を止めて、治療方針を変えた。発病から30年をすぎて、今が一番元気だと言えるという。しかしそこに至る前は、絶望の淵にあった。死に向かって「太く短く生きる」ことを決意したのだった。一体どのように「太く短く生きて」いたのか。むしろ自身の体へのいたわりとは真逆の仕事のやり方が、そこにはあった。

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深夜まで原稿に向かった

時はバブル。この頃、私は中央公論社の『婦人公論』編集部に勤務していた。日中は会議や打ち合わせ、資料集めに原稿の整理。取材が終われば、そのメンバーと食事に行く。毎晩のように打ち合わせを兼ねた会食があり、必ずと言っていいほど二次会に向かう。政治から世間話まで、ああでもないこうでもないと自由に考えをぶつけて議論した。

作家が「人間の中には矛盾があるから、チャーミングなんだ。わかっているのに、それができない。だから生きて行ける」という発言をすれば、小説のストーリーを考えるように話を向ける。

女流作家が「こんなことに頭にきている、最近はおかしい」と言えば、内容をじっと聞いて、後日、それをテーマに企画を考えてエッセイの依頼をする。

食事やお酒の席は楽しいだけではなく、企画の宝庫だった。誰もが何かに向かうエネルギーを発し、意志を持っていた。しかもみんな伸び伸びと活き活きとしている。

調子に乗ってお酒を飲み過ぎて、いい話をしていた記憶はあるが、内容が思い出せないこともあった。

痛みを忘れられる!

私は原稿に向かっている時や話に夢中になっているとリウマチの痛みを忘れていたまだこの頃は忘れられる痛みだったとも言える。

それで帰宅すればいいが、午後10時や11時に会社に戻った。翌朝までに印刷所に届ける入稿原稿を整えるためである。雑誌は毎月、確実に出版され、待ってはくれない。リウマチに睡眠や休養が必要だとわかっているが、「太く短く生きる」と決めたのだ。睡眠時間を削って時間を捻出した。今、痛くなければいい、動ければいい。薬を飲む時間でなくても、痛み止めのロルカム1錠と胃薬のガスターを飲んで机に向かう。

文章を整え、文字数を合わせる。割付用紙に記入し、原稿に赤ペンで指定する。気が付くと深夜。翌日は10時から企画会議がある。会議に提出する企画主旨などの説明を書いたものも用意しなければならない。ひたすら原稿に集中した。使用する写真を確認して、原稿と一緒に印刷所行きの封筒に入れる。深夜、印刷所の守衛室に封筒を届けて帰宅する。時に夜明けを迎えた。