# 政治・社会

「自分を役立てたい・・・」雅子さんが選んだ皇室の道

2人の結婚に秘められた歴史のドラマ
石井 勤

婚約の会見で、進路選択の理由のような説明をしている。「この人と一緒に生きていきたい」という募る思いがあって決めた結婚ではなかった様子が、発言から浮かび上がる。

宮内庁を動かした皇太子の言葉

そして、結婚から11年後の2004年5月、皇太子の口から飛び出した「人格否定」発言は世のなかに衝撃を与えた

「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
 
発言は鬱屈した感情の噴出だったのかもしれない。だが、宮内庁の対応を変えさせる力にはなった。雅子さんの治療チーム、「東宮職医師団」の編成はこの直後の6月。雅子さんの病状について「適応障害」との診断が示され、「ストレスの軽減を目的とした環境調整」などの本格的な治療がようやく始められた。
 
結婚までの性急なプロセスがさまざまな影を落としている。皇室についての十分な理解が得られないまま嫁いだ雅子さんにとって、東宮御所での暮らしそのものがストレスでありえた。

 

新時代の皇后へ

長期化した療養は平成が終わろうとするいまも続いている。雅子さんが皇后となった後の活動のありかたについて、皇太子は2019年2月、59歳の誕生日を前にした会見で語っている。


「今後は、自身の置かれる立場が変わることで、公務も多くなる中、一朝一夕に全てをこなせるようになるわけではないと思いますが、雅子は、これからも体調に気を付けながら快復を目指して更に努力を重ねていくと思いますので、国民の皆様には、引き続き快復を温かく見守っていただければと思います」
 
戦後の象徴天皇制にあって、皇后の役割と存在意義はかつてなく大きくなっている。言うまでもなく、美智子皇后の存在が決定的だった。それは揺るぎない事実であり、と同時に、雅子皇后がそのまま美智子皇后になることはできない。療養を続けながら、自分の皇后像を模索する日々が始まる。