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# 政治・社会

「自分を役立てたい・・・」雅子さんが選んだ皇室の道

2人の結婚に秘められた歴史のドラマ
拙著『皇后雅子──妃から后への三十年』は、これまで語られることがなかったある事実を初めて明らかにする。それは、秘められた歴史のドラマといえる。

重圧を乗り越えて結ばれた2人

天皇家の長男、皇太子徳仁親王と外務省に勤めていた小和田雅子さんの結婚は、四半世紀以上の間だれも口にすることがなかった、ある「できごと」をきっかけに動きはじめた

 

そこから始まる結婚へのプロセスをたんねんにたどることで、皇太子と雅子さんの結婚生活につきまとった孤立の影が見えはじめる。

まったく想定外の事態。宮内庁は「お妃選び」の方針を根本から変えざるをえなくなる。方針転換を受けて、皇太子が雅子さんの名前を口にする。そんなふうにして、一度はリストから外れた雅子さんがふたたび「お妃候補」として浮上するに至った。
 
その「できごと」がなければ、皇太子と雅子さんがこの時期に結婚を前提として再会することはなかった。と同時に、そのできごとは皇太子の結婚に時間の制約を突きつけた。皇太子は立場を自覚するがゆえに追い詰められ、予期せぬ渦に巻きこまれた雅子さんは思い悩んだ

「皇太子さま、貫いた恋」などと報じられた2人の結婚。だが、それはむしろ、状況の重圧に耐えながら自分の人生を自分で決めようとする、ぎりぎりの場所での決断といえた。

5月4日の一般参賀には14万人以上が集った(Photo by Getty Images)

批判覚悟の報道自粛決定

秘められた歴史が動きはじめたのは1992年2月。発端は日本新聞協会の報道自粛決定だった。翌日の夜、宮沢喜一首相は旧知の通産省(現・経済産業省)OBとの会合に臨む。そして……。
 
日本新聞協会の報道自粛は、宮内庁からの強い要請を受け、「宮内庁のお妃選びに協力する」との趣旨で決まった。言論・表現の自由を掲げる報道機関がみずから報道しない道を選ぶ。さまざまな批判を承知のうえでの方針決定だった。

ところが、その報道自粛が仇になる。宮内庁が報道機関から取り付けた協力が皮肉にも、お妃選びにとって文字通りの「難題」につながった。