金正恩氏はなぜ鉄道でロシアに行ったのか‥ミステリーを読み解く

同路線に乗った経験から予測する

本来なら不可能なはずだが…

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は25日、ロシアのプーチン大統領との初の首脳会談を行なった。そのために、ロシア極東のウラジオストクまで列車での移動をした。

金委員長が乗った専用列車が、北朝鮮国内の駅を出発した時間は当日の未明と報じられている。そして、ロシアへ入って最初の駅であるハサンへ着いたのは午前10時40分(現地時間)。もし平壌(ピョンヤン)から出発したのであれば、驚くべき速度で国内を走行したことになる。

平壌からロシアへ列車で行くには、平羅(ピョンラ)線を使う。この路線は、平壌市内の間里(カルリ)駅と羅先(ラソン)経済特区内の羅津(ラジン)駅を786㎞で結ぶ。平壌を出発した列車は内陸部を東へ向かい、海へ出てからは海岸線に沿って北上。

羅津港にロシアが敷設した線路(筆者撮影)

羅津駅からは咸北(ハンプク)線に変わり、北朝鮮側最後の駅である豆満江(トゥマンガン)駅へ。ここを出てすぐにある「朝鮮・ロシア友情橋」で、国境線の豆満江を渡るとハサン駅へ着く。

今回の専用列車の出発駅は明らかにされていない。公表された写真からは、駅のかなり広いコンコースに屋根が付いていることがわかる。私がかつて撮影した平壌駅コンコースの写真と比較したところ、屋根の形状が異なっていた。平壌駅が改装された可能性はあるが、ロシア寄りの咸鏡南道(ハムギョンナムド)の咸興(ハムン)駅か咸鏡北道(ハムギョンプクド)の清津(チョンジン)駅で乗り込んだのではないか。

平壌駅のコンコース(筆者撮影)

平壌からハサン駅までは約840㎞である。もし専用列車が平壌を午前0時に出ているとしたならば、時速約79㎞で走行する必要がある。これは、平羅線の線路の状態からすれば不可能だろう。

 

列車旅で分かったこと

私は1999年7月から2009年10月までの間に4回、取材のために清津まで平羅線を使った。いずれも、週1便しかないロシアと結ぶ国際列車だった。現在は月2便に減っているとのこと。西海岸を走る平義(ピョンギ)線の北京との国際列車は週4便運行されており、平羅線でロシアと行き来する人が非常に少ないことがわかる。

2009年に私が乗車した列車は14両編成で、旧ソ連製の電気機関車を列車の前と後ろに配置。13両は国内線だが、最後尾に連結された1両だけがモスクワまで行く客車だった。ここと他の車両との行き来はできない。この客車は寝台車になっていて、4人1室のコンパートメント。いたるところにロシア語の表示があるので、この車両はロシア製なのだろう。

乗務員がカップ麺用のお湯を用意してくれたり、いろいろと気遣ってくれるので、なかなか快適の旅であった。車窓からの光景にも飽きない。ちなみに平壌・清津間の片道運賃は、外国人は40ユーロ(当時のレートで約5400円)だった。

この時は平壌から清津まで25時間かかった。列車のデッキにある手動のドアを開け、身を乗り出してビデオ撮影ができるほど速度はゆっくり。もし金委員長の専用列車が時速約79㎞で走行したのなら、私には信じられない速度なのだ。

専用列車のロシアへ入ってからの映像には、ロシアの機関車2台が客車を牽引しているようすが映っている。北朝鮮国内は、外国製かも知れないが自国のディーゼル機関車を使ったと思われる。それは、北朝鮮の電力事情が悪いからだ。

北朝鮮は旧ソ連と同じように、“社会主義のあるべき姿”として鉄道を含む産業の電化を強力に推進してきた。現在の北朝鮮の鉄道は約5200㎞で、電化率は80%といわれている。ソ連崩壊などによって原油輸入が減ってからは、電化したことが鉄道の正常運行の障害となった。電気機関車は、停電や電圧低下によって途中で立ち往生するのだ。

私の列車旅は、清津からの帰りは工事に引っかかったこともあり、少し進んでは長時間の停車。持ち込んだ水や食料も尽き、列車に群がるようにやってくる物売りからスルメなどを買った。42時間も閉じ込められていたところで、取材受け入れ機関の車が平壌から“救助”に来た。このことがあってからは、長距離移動をする場合、費用がかかっても四輪駆動車や航空機の国内線を使うようにしている。