乙武義足プロジェクト」――先天性四肢欠損として生まれた乙武洋匡氏が、テクノロジーの最先端を行くロボット義足を装着し、2本の足で歩こうとしているのをご存知だろうか。エンジニア、研究者、デザイナー、義肢装具士、理学療法士といった多くのプロフェッショナルたちがサポートし、乙武氏の歩行技術獲得の道を伴走している。

前回までは、このプロジェクトの前史ともいえる幼児期の義足歩行練習についてお伝えしてきた。幼稚園入園直前に電動車椅子を使いこなせるようになると、それからはずっと義足とは縁のない生活を送ってきた乙武氏が、なぜ40歳を過ぎたいまになって義足での歩行に取り組んでいるのだろうか?

その疑問を解くカギは、3年前に世間を騒がせたスキャンダルにあった。連載5回目の今回は、プロジェクト開始前夜、世間から「ゲス」というレッテルを貼られた乙武氏の胸中について、まずはお読みいただきたい。

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履かされ続けた「下駄」

足がないのに、子どもの頃から「下駄」を履かされ続けてきた。

「歩けるなんてすごいね」
「字が書けるなんてすごいね」
「自分一人で食べられるなんてすごいね」

周囲と同じことをしているはずなのに、なぜか私だけが褒められた。子どもながらに、その「なぜか」を必死に考えた。

答えは、わりとすぐに出た。

あなたは障害者だから何もできない――。多くの人の胸の内には、そんな前提が横たわっている。だから、手も足もない小さな子が目の前で車椅子から降りて歩き出したり、肩と頬の間にペンを挟んで字を書き始めたりすると、人々は目を見開いて驚き、そして惜しみない賞賛の言葉を注いでくれたのだ。

そのカラクリに気づいてしまうと、私は人々がかけてくれる賞賛の言葉を素直に受け取れなくなってしまった。もっと正確にいえば、言葉の根底にある「障害者だから何もできない」という前提に反発を覚えるようになってしまった。

そこでまた考えた。私は健常者と同じことしかできていない。だから自分だけが褒められることにモヤモヤするのだ。ならば、健常者よりも秀でたことができるようになればいい。そうすれば、きっとその褒め言葉を素直に受け取れるようになるはずだ。
そうして私は努力するようになった。

幼い頃の乙武氏

3年前のこと

大学3年の秋に『五体不満足』が出版されて多くの人に知られる存在になってからも、基本的にその構造は変わらなかったように思う。私はあの頃から、全国的に“立派な人”とされてしまった。けれど、自分自身がたいした人間でないことは痛いほどよくわかっていた。だから、聖人君子のようなメッキを剥がされる前に自分から剥いでしまおうと、ずいぶん露悪的に振る舞った時期もあった。

だが、そうした振る舞いは意味を成さなかった。テレビ番組でも、雑誌の記事でも、そうした要素はすべてカット。世間から抱かれるイメージは「清く正しい乙武クン」のままだった。そんな虚像が長期間にわたって一人歩きを続けてきたのには、やはり私の境遇が大きく影響しているのだろう。「障害者なのにこれだけ頑張っている」というバイアスが、幼少期に引き続いて、私にとてつもなく高い下駄を履かせ続けてくれたのだ。

この下駄とは一生付き合っていかなくてはならない。そんなあきらめにも似た思いを抱いていたが、3年前に決別する機会が訪れた。

2016年3月。数カ月後に控える参議院選への出馬が取り沙汰されていた私の私生活におけるスキャンダルを暴露する記事が週刊誌に掲載され、世間からの集中砲火を浴びた。申し開きできることではまったくないし、するつもりもない。多くの方々に迷惑をかけてしまったことは事実であるし、とても申し訳なく思っている。