81歳認知症父の騒動で実感した「高齢者の運転を止める」難しい実情

池袋の悲しみを繰り返してはならない
田中 亜紀子 プロフィール

家の「中と外」の障壁

高齢者の運転をとめるための障壁は、大きくわけると家庭の内と外にあると感じた。

まず家庭内の問題の一つは、前述のように本人が納得しないこと。うちのように家族から見て認知症の疑いがあっても、診断される恐怖からか病院もがんとしていかない場合、家族内の関係が異様に悪化することもあるだろう。うちの父が病院に行ったのは、認知症の疑いを感じ、私が説得その他を始めて7ヵ月後だった。ここで認知症と診断されても父は運転を続け、やめたほうがいいのではと説得を続ける私に殴りかかるようになった(あとでわかったが、父は認知症の中でも易怒の症状が出やすいピック病だった)。

もう一つの家族の問題は、家族みなが同じ意見だとは限らないということ。我が家の場合は、私が父の運転をやめさせようとやっきになることに、別のところに住む家族は反対だった。私が止めることを頼んだ後、「言ったけど聞かない」と軽く言われ、もっと言ってくれとお願いすると「お父さんはまだ大丈夫なのに大袈裟な」「生きがいを奪うことになる」、さらには運動神経に自信がなく、免許を一度もとっていない私に「あなたは免許がなく、運転のことがわからないんだから、人に運転をやめろと言ってはいけない」とも言われた。私は父をいじめる悪者のようで、孤立していった。

父の車に傷が増え、認知症と診断されてもなお「生きがいを奪う」と言われるとは。事故をおこし、いろんな人の命が危険にさらされることになったら、「生きがい」どころではない。

実は前回の記事の掲載後、「認知症の人が運転してはいけないと書くことは、差別になるからやめたほうがいい」と抗議されたこともある。「運転をやめさせる」という言葉遣いも問題なのだそうだが、認知症の父本人がやめずに危ないのだから、私の立場としては「やめさせる」としか言えないし、そういう余裕のある話ではないので、今回もあえて使っている。

医師たちが口にした「やめさせる権限はない」

次に家庭の外について考えてみよう。時には家族よりも影響力の強い医師や介護関係者が「自分たちには運転を強制的にやめさせる権限を持たない」という意識が強いことが、家庭外の大きな壁の一つだと私は感じた。

私は、父が認知症と診断されれば、運転をやめさせられると思い、病院にいくことを心の支えにしていた。しかし、診断時の医師の反応は鈍かった。「私に権限はありませんが、運転はおやめになったほうが……」という優しい説得には、父はまったく応じない。通院のたびに医師に言ってもらうようにお願いしても、診察の最後に「運転をやめることも考えましょう」という程度で、認知症の父の自主性が重んじられていた(実は医師には認知症患者に運転を止める大事な役割があったのだが、それは後述する)。

この姿勢は、医師だけではない。認知症の診断で申請した介護保険の面接のために、うちに訪れたお役所関連やケアマネの方々も同じだった。また、運転免許センターが相談にのってくれると聞き、その適性相談室に電話したものの、当時は「本人がセンターに来なければどうにもならない」と言われもした。いっそのこと気絶させて運ぼうか。そんなことまで考えた。この時点で免許更新まであと2年。説得に応じない父は毎日何度も車で出かけており、私は精神的に追い込まれていったのである。