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爆心地で雑巾を描き続ける「河童」の信念

かつての"原爆スラム"のいま

"原爆スラム"を訪ねて

「広島市営基町高層アパート」は、戸数3000、約9000人が暮らす大規模集合住宅だ。隣接する県営の中層アパート(約15000戸)も併せて、一帯が基町団地と総称されることもある。

 

広島市の中心部、原爆ドームから歩いて10分とかからない場所だ。その地域──広島開基の地を意味する基町地区は、かつて"原爆スラム"と呼ばれるバラック街を抱えていた。終戦直後から70年代末までの話である。

広島基町アパート

太田川の河川敷に沿って、約1000戸もの粗末な木造住宅が軒を連ねていた。巨大な要塞にも見える基町アパートは、"原爆スラム"の生まれ変わった姿でもある。

1945年8月6日の原爆投下。爆心地から1キロと離れていないこの場所は、一瞬にして灰燼に帰した。終戦後しばらくしてから、原爆被害によって住む家をなくした人々が基町周辺に集まるようになった。

被災者たちは、焼け野原に積み重なった瓦礫の中からトタンや板切れをかき集め、急ごしらえの家をつくり、雨露をしのいだ。

これが"原爆スラム"のはじまりである。

1973年に公開された任侠映画『仁義なき戦い 広島死闘編』(深作欣二監督)では、この街がロケ地として使われている。画面下に「原爆スラム」のテロップが流され、続いて映し出されるのはスラム内の安普請な食堂でビールを飲むヤクザ組長の姿だ。

店を出たところで、敵対する組織の鉄砲玉が拳銃を構えて待ち受ける。逃げる組長、追いかける鉄砲玉。拳銃の弾ける音と、街中を疾走する者たちの靴音が響く。

印象に残るのは必死の形相で走り回るヤクザたちの姿ではなく、ロケ地としての基町の風景である。

粗末な家屋が並ぶ。街の各所に、瓦礫やゴミがうず高く積まれている。組長も鉄砲玉も、瓦礫を乗り越え、狭い路地を駆け抜ける。まさに「混沌」をそのまま絵にしたような映像から漂ってくるのは、「戦後」の匂いだ。

1970年代の初めには、まだ、原爆の傷跡が基町に残っていた。
二人は奔る。瓦礫を乗り越え、路地を抜け、絶望とも希望ともつかない道を行く。「戦後」が通り過ぎていく。

映画が公開されている頃、すでに広島市は同地の再開発事業を進めていた。行政にとって原爆スラムは喉元に突き刺さった小骨のような存在だった。官公庁街の至近距離に迷路のようなスラム街が存在することは、県都として放置できないと考えたのだ。

簡易な木造住宅は次々と取り壊された。
更地となった場所に大規模団地・基町アパートが完成したのは1978年のことである。