# ALS # 尊厳死 # 自己決定

みんなで決める終末期?

患者と医師と人工呼吸器と
川口 有美子 プロフィール

治療に踏み切れず、佇む医者たち

人工呼吸器をつける前から、全身の麻痺が進むので、ALS患者はオートノミー(自律)喪失に直面してしまう。機械や介護者に依存することを「尊厳がなくなる」と考えてしまえば、人工呼吸器の装着は難しい。

そのような考え方をする人も、かなりの数いるので、医者は人工呼吸器の装着を積極的には勧めないが、かといって着けずに亡くなることも積極的には推奨できないことではあるから、双方のメリットとデメリットを丁寧に説明をして、決定は患者に委ねるのがよいとされてきた。そして、選択肢を増やすという意味では、呼吸器を外せるようにすることも必要だろうと考えられた。

生きることも死ぬことも、どちらも認めようという態度が、患者のためにはいいということだ。

選択を迫られ、路頭に迷う患者たち

ところが、患者にしてみれば、未知の病気に侵されているので、自分は一体この先どうなっていくのだろうと不安でたまらない。専門家に何がベストなのかを聞きたいのは当然だ。まして呼吸器の装着は、命に関わる治療なのだから、主治医が煮え切らなければ、踏み出せない。かといって断る勇気もないのだから、路頭に迷ってしまう。

ALSの治療に関しては、選択肢があればあるほどいいということでもないと、私などは思っている。ミキサー食の次は胃ろう、その次は気管切開、その次は人工呼吸器、その次は……、という風に次々選びたくない選択肢が示されると、気落ちして、生きる気力が萎えてしまう人たちを見てきたからだ。

先週相談してきた女性患者も、まさにこの問題に直面していた。半年前に気管切開をしているのに、次は人工呼吸器を装着するかしないかを選択しなければならないということだった。主治医は気管切開はしても、呼吸器をつけないで、自然に亡くなる選択もあると言い、呼吸器は一度つけたら外せなくなるから、よく考えるようにとも、長生きしていればいいこともあるよ、とも言うのだった。

最近の傾向として、本人の覚悟が決まりつつあるのにもかかわらず、幾度となく蒸し返しては、意思を確認する看護師がいる。意思決定支援というが、一体何を決めさせたいのだろう。

 

何がパターナリズムか?

昔は、気管切開と呼吸器装着は、ほぼ同時に行われていた。だから、気管切開をしてしまえば、もう患者には選択の余地がなかった、というよりは選択の必要がなかったから、迷うこともなかったのである。

それに自発呼吸のない人の人工呼吸器は外せない(即死に繋がるため)という原理原則もあったので、もう自己決定で死なずともよいとわかった時点で、お迎えが来るまで生きていく覚悟が決まった。それが、今世紀に入った頃から日本でも、積極的な治療が医師のパターナリズムなどと言われるようになり、患者の自己決定権を脅かしているという批判も聞かれるようになり、医者は中立を標榜するようになった。

ところが、ALSの長期生存者からは、全く違う話が聞ける。それは、呼吸器をつけない選択肢を何度も繰り返し示す医者のほうが、パターナリスティックだったと言うのである。