性差別、ヘイトスピーチ論議に必須!「表現の自由」の超基礎知識

憲法学者が丁寧に解説します
志田 陽子 プロフィール

メディア表現やコンビニ、書店は…

一方で、マスメディアによる報道は、制度上は「公」には属さないが、国民の「知る権利」に応えるために公共情報を提供するという役割からすれば、高度の公共性を担う。しかし報道ではないドラマやバラエティーなどの枠に属するコンテンツは、基本的にそのメディアの「表現の自由」に属する。

マスメディアの表現は、テレビ・ラジオなどの放送を通じて家庭に直接に浸透する。したがって、メディアの社会的影響力は、それ自体で相当の社会的浸透力と個人の内面(人格形成)への浸透力を持つことになる。

そのために、自主規制をしたり第三者機関による評価やモニターの仕組みを取り入れるなどして、適正な内容を保つように配慮している。

書籍やDVD、ゲームを取り扱う小売店はどうか。マスメディアにしても小売店にしても、それぞれに経済活動の自由があり、消費者や視聴者の意向を勘案して自己の利益をはかることは、日常の営業努力と言える。

〔PHOTO〕iStock

マスメディアは、上述のような公共的な意義があるため、「報道」に関しては営業上の利益よりも社会に対する責任を優先する場面はある(ある会社の製造物に欠陥があったことを「報道」しなければならないとき、スポンサーへの忖度よりも社会に知らせる責任を優先する、といった場面)。

一方、それ以外の場面では、消費者の好感度を確保するために好感を損なう表現を取り下げる、あらかじめ配慮する、といった考え方をとることは法的には自由である。

こうした営業上の自主的な配慮(経済活動の自由から言えば「自由」)がときに「表現の自由」の角度から見れば不自由な状況を招くことがある

マンガ雑誌やTVアニメなどが、読者・視聴者の苦情に応えて評判の悪い作品を自主的に取り下げるようなとき、この作品の制作にかかわった表現者にとっては、表現の自由を否定されたような思いがするだろうし、この作品を「挑戦的で良い」と思っていた読者・視聴者にとってみれば、その作品に接する自由を奪われたという思いになるだろう。

 

コンビニの成人誌問題はどう考えるべきか?

コンビニで、性的な表現を内容とする雑誌などを店頭で取り扱わないという申し合わせが行われたが、これも、このような場面に属する。

40年前、まだ始まったばかりの頃のコンビニ文化は、深夜に活動する大学生や労働者が中心だった。そうした中では、コンビニが娯楽としての性表現に接することのできる場であることが、歓迎されていただろう。

しかし今ではコンビニは、昼間に親子連れが食材や日常雑貨を買いに来るスーパーマーケット、あるいは小中高校生が文具やおやつを買いながら雑談をする社交場となっている。

このような変化によって、かつては社会から許容されていた性表現物取り扱いが、今では批判の対象となる、ということも起きたわけである。このような顧客層の変化に対応して、女性、親子、未成年への配慮を優先させる判断を行うことは、コンビニにおける営業の「自由」に属する。

そして、筆者自身は、こうした自主対応によって問題が収まるなら、法規制による《追い打ち》をかける必要はないと考えている。