性差別、ヘイトスピーチ論議に必須!「表現の自由」の超基礎知識

憲法学者が丁寧に解説します
志田 陽子 プロフィール

多様性は担保されているか

それでも、「あなたには「それは嫌だ」と言う自由がある」という答えで終了するわけにいかない「表現の自由」の難所が、現実社会にはいくつかある。

たとえば、ジェンダーに関わる表現が問題になる場合だ。ステレオタイプを打破する《多様性》が担保されているかどうかが問題になるのである。どういうことだろうか。

ジェンダー(男女の性別役割)、セクシュアリティ(性に関する人それぞれのあり方)は、もともと各人の自由に委ねるべきことで、それに関する表現もまた各人の自由に委ねることが原則ではある。

しかし、ジェンダー、セクシュアリティについて社会に根付いてしまっている偏見・ステレオタイプは、さまざまな形で人権の実現を妨げている。女性が議員に立候補しようとしたら、「女のくせに」「子供はどうするのか」「要介護の親がいるのに」「ご主人は」といった言論に阻まれて、当然に保障されているはずの人権を行使できずに断念した、といったことは、これまでの日本で無数に繰り返されてきた風景である。

そのような社会状況があるときには、国家や自治体が法律や条例や何らかの政策を打って状況を改善し、平等社会の実現に向けてテコ入れすることが必要となる。

このようなとき、この状況改善を嫌い、旧来の社会状況を温存したいと思う人々の感情がメディアやネット上に表れることも多い

こうした状況で、国や自治体の政治的努力を台無しにするような、弱者に対する差別・揶揄・侮辱などの言論が見られるとき、それが「政治的正しさ」political correctnessに反する表現として問題視される。

 

ステレオタイプを克服する表現は出ているか

この「政治的正しさ」(「政治的に正しい/正しくない」)という言い方は、日本語の語感としてはあまりなじまず、日本では「不適切な表現」という言い方で受け入れられているように見える。

「不適切な表現」のもともとの発祥は今述べたようなもので、これまでの歴史の中で弱い立場にあった人々が、自分たちの存在価値を正しく認識してもらい平等な社会的扱いを得るために声をあげるためのものだった。

日本ではこの動きが大変遅れて起きてきたため、このところ急に女性が口やかましくなったと感じる人々も多いだろう。しかし、これまでの日本社会が、女性を消費したり翻弄したりすることにたいして無自覚でありすぎた、ということを考え合わせて、この状況を理解する必要がある。

ここでの《ステレオタイプ》とは、その人の個人としての意欲や能力に関係なく、その個人が属している何らかのアイデンティティ(性別、人種、民族など)に基づいて、当人の適性が固定的に予測されてしまっていることをいう。女性は論理的思考に適さないとか、男性は暴力的である、といった事柄である。

「表現の自由」実践の場であるメディアは、《多様性の確保》によって、このステレオタイプを克服することが期待されている。繰り返しになるが、一定のステレオタイプを強化するような表現ばかりでなく、そこに揺さぶりをかけるような表現が出てくる環境が求められるのである。