果たして偶然か……三島由紀夫の死は「ある友人の命日」と同日だった

三島由紀夫「自裁死」の謎に迫る
保阪 正康 プロフィール

山崎と三島は友人だったのではないか

山崎の経歴を大まかになぞるには、自殺当時の新聞報道がもっともわかりやすい。たとえば、朝日新聞は、「学生社長(光クラブ)自殺す」「三千万円の金策つきて」との大見出しのもと、記事の中では、「人生は劇場だ戦後学生の一典型」「債権者びつくり早くも四十数名が押しかけ」といった見出しが躍っている。

各紙の記事には、「東大学生」「ヤミ金融」「独自の哲学」「死で清算」といった文字が見える。これらの報道は、戦後における「アプレゲール犯罪」という見方が基本になっている。

私はこれらの見方が全面的に正しいとは思わないが、一面はついていると思う。

『真説光クラブ事件』ではそこを書きたかったのだが、なぜ金にも困っていない山崎が、このようなヤミ金融を行ったのか。千葉県のある都市の市長の子弟に生まれ、少年期から秀才と言われて育ち、第一高等学校、東京帝大と進んだ学徒が、なぜこのようなあまりにも形而下の仕事に手を染めたのか。

そのことは検証しておく必要がある。当然そこに〈戦争〉の影があるだろうと、私は考えたのである。

山崎と三島は実は友人だったのかもしれないと思ったのは、『青の時代』のある場面を読んだからである。

三島はこの作品の中で、山崎の実家を描写している。それはまさに、訪れたことのない者には書けない描写であった。

このことは、この市の市長を長年務めた人物が証言していた。幼年期から山崎と遊びまわり、のちには一高の先輩にも当たるので、山崎やその実家のことをよく知っていた。その人物は、三島が山崎の実家に遊びに来たであろうと言っていたのである。

この人物の証言内容は具体的であった。拙著から紹介する。

「私は戦争から戻って中央官庁に身を置いていたけれど、光クラブが山崎君の自決の前にもなんどか新聞で報じられたことがあってね、あの山崎君とはなかなか信じられなかった。……あんなタイプではなかったけれどね。

そのあと三島由紀夫君が『青の時代』という小説を書いたわけだが、それを私も読みましたよ。読んだ瞬間に、ああ、三島君は、山崎君の家に遊びに来たことがあるのか、とすぐにわかりました。なにしろあの小説の中で語られている山崎家の家の内部は、僕らが子供のころに遊んだときの情景そのままだったからね」

特に思い当たるところはありますか、と私が尋ねると、彼はすぐに二、三の指摘を行った。彼は、「ある、ある」と言って、次のように答えたのである。

「山崎家の家の二階からは矢那川が目の前なんだ。といってもすでに堤防は出来上がっていたから、水が増しても浸水する恐れなどはなかったからね。この二階の出窓から、釣り糸を矢那川に垂れるとハゼなんかを釣ることができたんだ。僕らもよく子供のときにそうして遊んだものさ」