日本初「100万部の国民雑誌」を生んだ若者の熱狂

大衆は神である(48)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

子どもから大人まで、すべての日本人が争うように読む雑誌をつくる――。この途方もない野望を実現するため、清治とその部下たちは猛然と編集作業を始めた。雑誌の名前は「キング」。のちに「国民雑誌」と称される同誌の誕生を支えたのは、昼夜を問わず働いた若者たちの熱狂だった。

第五章 少年たちの王国──君たちはこう生きよ⑶

原稿精選──「闇から闇に百万円」

大正13年(1924)12月5日、震災で一年延期されていた講談社の国民雑誌『キング』(大正14年新年号)が発売された。初刷り50万部という未曾有の大部数である。

総ページ数454ページ。その中心は大衆文壇の大家である村上浪六(なみろく)の『人間味』や、のちに国民的作家になる吉川英治の『剣難女難』など九編の小説だった。これらの小説の間に伝記・新知識・笑話・美談・噂話・珍談など多彩な小記事が配置された。

これに四大付録として「現代各方面五十五名士愛誦の金言名句修養訓」「新東京名所巡り競争双六」などがついて定価50銭。キャッチフレーズは「日本一面白い! 日本一為になる! 日本一安い! 日本一の大部数!」だった。

清治が『キング』発刊を決めたのは、それより1年10ヵ月前の大正12年2月ごろのことである。師範時代の同期生で、群馬の教育界で名をなした長谷川卓郎(前年11月に講談社入社)を編集主任に据え、その下に経験豊富な広瀬照太郎をつけた。

『キング』に掲載する原稿集めは、同年6月ごろからはじまった。主要な人気作家には長編小説を特別依頼した。特別依頼とは、原稿を連載開始前に全部書き上げてもらい、その代わり原稿料は2倍払うというものだ。また、新聞で一般からも大々的に原稿を公募した。

 

こうして集められた原稿は厳しい篩(ふる)いにかけられた。選択にあたったのは、社内に特設された審査委員会である。メンバーは清治、左衛、恒、各誌編集主任のほか、少年部員たちやお勝手の娘など約20人からなっていた。

審査員がすべて90点以上をつけた原稿だけが『キング』に掲載される。ただし、たとえば少年少女には100点だが、大人には80点のものは掲載可とした。少年少女には100点だが、大人には70点の場合は不可である。狙いは、小学校を卒業したばかりの13歳から、70歳以上の老人まであらゆる年齢・階層・職業の人々が争って読みたがる雑誌をつくることである。

特別依頼や公募以外にも、よさそうな原稿はどんどん買い集めたから、その後の審査でハネられ、お蔵入りした分の原稿料が膨大な額になった。清治はそれを「闇から闇に百万円」と言った。

原稿用紙で数十枚分あったエピソードが3~5行の小物記事に書き替えられ、名士のところに行って2時間ほどかけてとった談話筆記がわずか10行ばかりの記事に圧縮された。そうやってあらかじめ貯め込まれた原稿のストックは雑誌1~2年分にのぼったという。