こんなに入りやすくて旨い「寿司居酒屋」が西馬込にあったとは…

ロビンソン酒場を往く⑤

ロビンソンの孤島は実在した

都営浅草線西馬込駅から徒歩約30分という、かなり不便な場所に、かつて、たった一人でトンカツから熱燗まで何でも一人でこなす店主の居酒屋があった。

住宅ばかりがつづく、都会の田園なき田園のなかで、この居酒屋ともう一軒の寿司屋だけが、夜、まるで灯台のようにあたりを仄かに照らしていて、その光景は、ちょっとした錦絵のようでもあった。

しかしある日、その一人店主の居酒屋へと行ってみたら、出入り口のところにベニヤ板が打ち付けられてあった。店主が亡くなったと聞いたのは、自転車のサドルの高さをゲンコツで叩いて調整していた近隣に住むおばあさんからだった。おばあさんは、3発、サドルを殴ると、その高さに納得し、華麗に漕ぎ去っていった。

そこで私は他に行く宛てもなく、もう一軒の寿司屋を覗いてみた。ん? 変なことに気づく。店名は以前のまま「金寿し」なのに、青い暖簾に、「居酒屋」とあるのだ。

この店は、ほんとうに、まったきロビンソン酒場になった。

ロビンソン酒場とは、あらためて説明すれば、ロビンソン・クルーソーと酒場をもじった造語である。街中の、駅からも商店街からも近くはないところで繁盛している店のことを、スティーブンソンの孤島での冒険譚『ロビンソン・クルーソー』になぞられている。

ちなみに、モデルとなった男は、漂流したのではなく、置き去りにされたのであった。その男が暮らした島はロビンソン・クルーソー島と呼ばれていて、今は無人島ではなく人口は数百人いる。

 

文豪たちの別荘があった村

大田区馬込はかつて馬込文士村と呼ばれ、文豪たちの家や別荘などがあつまった土地だった。有名どころでいうと、川端康成、北原白秋、萩原朔太郎、三島由紀夫、山本周五郎などが住んでいたようだ。

西馬込駅東口はかつて馬込西銀座商店会といったが、1990年代に「馬込文士村商店会」と改称している。各地の商店街が生き残りに必死になりはじめた時代、この街では、文士が暮らした歴史をフィーチャーして活性化したのである。

さて件の店は、その反対側のエリアにある。

西馬込駅西口を出て、延々と坂道をのぼる。のぼったと思ったら、すこしくだる。静かな住宅街には時折、はっとするような大邸宅もあり、散歩者の目をひくが、ほんとうに坂が多い。

息が切れるほどの坂道だから途中で休憩したいのだが、店らしい店は全然ない。喉もからからになりつつ歩きつづけると、やがて新幹線が横切るガードに出くわす。これが、その店までの一里塚のようなものである。

あとすこし頑張れば辿り着ける、と思える目印は住宅街にこそ必要だと思う。目印らしい目印がない住宅街は、大海原みたいなものである。かつて介護に携わる人に聞いた「住宅街ほど、手すりもベンチもないし、マークになるようなものがなく、高齢者にはしんどい」という言葉を思い出した。

どこかの埋め立て費用や、巨大スタジアムなんて作るのに比べれば造作もなく、されど、普通の人の暮らしが確実にちょっと豊かになることが、この国では、どんどん置き去りにされている。

お寿司屋らしい凜とした美しさがある

で、その店の名は、「金寿し」という。しかし、そこにかかる暖簾は「居酒屋」とはっきり染め抜かれている。どっちなのだ、と思いながらその暖簾をくぐって店に入ると、L字のカウンターと、その傍にはテーブルが2つ。こじんまりとした街の寿司店のイメージ通りの造りである。

床はタイル張り、磨き込まれた柱と美しいカウンター。日頃から掃除が行き届いているのは一目瞭然である。店に足を踏み入れるとすぐに、新潟出身のご主人と宮城県出身の女将さんが、「いらっしゃい」と気持ちのいい声で迎えてくれる。(「いいよ、名前なんて」と歯切れよく言われたのでお名前は記さないが)

そして、驚く。どこの駅から行っても遠い場所(隣接しているのは都営地下鉄のほかに東急線、JR線などがあるが、いずれも遠い)なのに、カウンターもテーブルも埋まっている。

繁盛しているのだ。なぜか。