池袋西口の中華『新珍味』はなぜ台湾独立運動の聖地となったか

店主は100歳の台湾人革命家・史明
田中 淳 プロフィール

台湾独立運動の資金を蓄えるために店を開いた

史明は1918年、日本統治時代の台湾・台北で生まれた。

早稲田大学に進学し、マルクス主義に覚醒したことで「植民地支配からの台湾の解放」を希求するようになり、1942年、卒業と同時に中国へ渡り中国共産党のスパイとして暗躍する。

 

やがて鄧小平に引き立てられ中国人民解放軍幹部への道を歩むが、共産党の実態に絶望して台湾へ逃亡。折しも台湾では国民党政府による反体制派に対する弾圧の嵐が吹き荒れており、圧政を敷く蔣介石の暗殺を企てる。だが計画が露呈して指名手配され、1952年、バナナ輸送船に乗って命からがら日本へ亡命した──。

『新珍味』はその史明が、自活しつつ台湾独立運動の資金を蓄えるために開いた店だった。厨房で腕をふるうかたわら、階上の自室では台湾独立をめざす勉強会を開き、台湾通史の決定版として今も読み継がれている『台湾人四百年史』を執筆した。同書は、庶民の視点に立って書かれた初めての台湾史のテキストで、台湾人が「自分は中国人ではなく、台湾人なのだ」と自覚する大きな原動力となった。

台湾を「事実上の独立国」とする見方もあるが、日本による植民地統治が敗戦で終了すると、入れ替わるように中国から、蔣介石と中国国民党政権が台湾に侵攻し、外省人(中国人)による台湾支配が21世紀まで続いたことを理解する必要がある。

いくら民主化が進み、民主進歩党(民進党)政権が誕生しても、国家のシステムは外来の「中華民国」を引き継いだまま。しかも「中華人民共和国」との政治的対立から、台湾が“国”として外交承認されず、国際社会から閉め出されている状態が今も続いている。

「このままではいずれ、狡猾な中国に呑み込まれる。『中華民国』という不正常な状態を是正して真の独立を果たさない限り、台湾の未来はない!」というのが史明の考えなのだ。

池袋の戦後復興マーケットのバラックで開店

史明は日本に亡命した1952年にまず、東京八丁堀で間借りのギョウザ店を営み、翌1953年に池袋西口のバラックへ移転。1954年に現在地で店をオープンした。

「池袋界隈は早稲田留学時代から縁の深い土地でね。戦前はのどかな郊外住宅地で、台湾人の教員や学生も多く住んでいた。早稲田で教鞭をとっていた社会学者の呉主恵(ご・しゅけい)や哲学者の郭明昆(かく・めいこん)も池袋在住で、彼らのもとをよく訪れていたから土地勘があった。ただ商業は池袋より、三業地(花街)のある大塚のほうが栄えていたな」

池袋西口には戦後、焼け跡に闇市を起源とするいくつもの戦災復興マーケットが生まれ、1960年代まで賑わった。都市史学者・建築史家の石榑督和(いしぐれ・まさかず)氏によると、特に仁栄マーケット、永安公司といった華僑系のマーケットが繁盛し、史明も「羊肉や中華食材が容易に調達できた」と話していることから、池袋西口の華僑ネットワークがビジネスの基盤作りに役立ったようだ。

創業期の『新珍味』で厨房に立つ史明と、内縁の妻の故・平賀協子。ふたりは終戦直後の北京で恋に落ち、約20年にわたって苦楽を共にした(写真提供:独立台湾会/財団法人史明教育基金会)

さらに、池袋近郊の旧成増陸軍飛行場が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、米空軍の家族住宅『グラント・ハイツ』(現・練馬区光が丘一帯)になったことも大きいと話す。史明が日本へ亡命した年にGHQの占領は終了したが、米軍は引き続き駐留した。

「約1,300世帯が住むグラント・ハイツで、多くの日本人や台湾人、朝鮮人が運転手やメイドとして働いていて、彼らは西口マーケットの顧客でもあった。ちなみに、“戦勝国=中華民国籍”になった台湾人はハイツ内のPX(進駐軍専用商店)で自由に買い物ができたから、日本人の立ち入りが禁じられていたPXで商品を仕入れ、マーケットで転売して儲けた連中も多かった」。

とはいえ、池袋西口が「新チャイナ・タウン」として変貌するのは1990年代以降のこと。東京中華街促進会の胡逸飛(フー・イーフェイ)理事長によると1980年代、改革開放政策の波に乗って中国から「新華僑」が集まるようになり、池袋に日本語学校が続々開校する。1991年にオープンした中国系食材店『知音(ちいん)中国食品店(現・中国食品友諠(ゆうぎ)商店)』が当たると、周辺に『池袋陽光城』『聞聲堂(ウェンションタン)中国書店』など新華僑経営の店舗が集まり、2000年代に「新チャイナ・タウン」が形成されるようになったのだ。

史明によると1980~90年代は、留学名目で訪日したあと故意にオーバーステイし、不法就労で稼ぐ中国人が多かった。今のトキワ通りのあたりは戦後、私娼たちが客引きをする”青線地帯“となっていて、80年代以降は留学ビザでやって来た相当数の中国人女性が売春していたという。