「院政」から見えてくる、令和以降の皇位継承のあり方

「院政 天皇と上皇の日本史」はじめに
本郷 恵子 プロフィール

現代では困難な継承制度

「天皇崩ずるときは皇嗣即ち践祚し祖宗の神器を承く」の意味するところは、要するに以下の2点である。

第1に、天皇位には1日の空白もあってはならず、ただちに継承が行われるべきであること。第2に、臣下の政治的意図等に発する強要によって皇位が左右される可能性を排除するために、天皇の代替わりの条件を単純化し、人為による操作の入り込む余地を設けないことである。

 

とくに第2の点については、天皇が自らの判断で皇位を退き、皇太子に位を譲る「譲位」が中古以来の慣例になっていたと示したうえで、これを採用せず、現天皇の崩御によってのみ継承が発生すると定めた。結果として譲位が行われなかった上代(古代、おおむね奈良時代ごろを指す)の方式に従うことになったというのである。

「中古以来譲位の慣例」をわざわざ改めたこの判断は、天皇位が政争の具になることを避けるという意味では、首肯できる。だが医療の発達による長寿化は、高齢となった天皇に過酷な公務遂行を要請する結果を生んでいる。

また、天皇位が男系の男子によって継承されることは、皇室典範の第1条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められているが、この点についても、今日の皇室の構成では、直系継承と男系継承を両立させることが不可能なのは周知のとおりである。

超高齢化・少子化、男女の役割の問題等、天皇家もまた、きわめて今日的な課題を社会と共有しているといえるだろう。

新たな「院」の時代に過去の歴史をふりかえる

神話時代は除くとしても、日本の天皇家は少なくとも千数百年にわたって、125代という皇位継承を実現してきた。これが可能だったのは、「天皇」の運用が非常に柔軟だったからだといえるだろう。

『帝国憲法・皇室典範義解』に述べられていたとおり、天皇不在で皇太子が政務をとった時期もあるし、女性天皇や幼帝が位に即く場合もあった。天皇は終身の地位ではなく、譲位も頻繁に行われていた。

天皇の地位が日本の頂点に置かれていたことは間違いないが、それは時代の政治状況に応じてかなり大きな幅をもって運用することができた。ほとんど場当たり的といってもよい。

「天皇」の運用において、最も画期的だったのが、おそらく「院政」の開始である。古代以来の制度である太政官制を保持したまま、速やかな政治的判断と断固たる政治的決断を可能とする回路を作り出し、新しい時代を開いたのが院政という方式である。

天皇の父であることを根拠に権力を掌握した院のもとに、日本のさまざまな場所で胎動していたエネルギーが引き寄せられ、大きなうねりとなった。

「中古以来譲位の慣例」から生まれた「院政」という政治方式を追跡することを中心に、「万世一系」とうたわれる血統の再生産がいかにして維持されてきたのか、それを支えてきた組織や財政の仕組み、社会の構造がどのようなものであったかを考えていくのが本書の目的である。