このまま行くと「非リア充が喋ると百発百中気持ち悪い」という結論になってしまう。確かに九十中ぐらいは気持ち悪いのだが、これは非リア充がいかに優れているかを啓蒙するコラムだ。
ネットというのは、玉石混淆ではあるが、常に最新の情報が流れている世界である。言葉だって新しいものがどんどん生まれている。つまり非リア充は常に最新の言語に触れているのだ。またネットをやるということは、それだけ文章を読む機会が多いということでもあり、一日中ニコ動でアニメを見て「尊い」しか言っていない非リア充は別として、語彙もかなり増えるはずである。
つまり、非リア充というのは全員高い言語能力を持つ金田一春彦の生まれ変わりであり、逆にリア充は「ウェイ? ウェェェイ。ウェェェーイ!」しか言葉を知らない、石器時代レベルの文化しか持っていないのである。
3語だけで友達100人作るリア充
この仮説はあながち間違いではないかもしれない。しかし「言葉を知っていようがいまいが、会話能力が著しく低い」というのが非リア充の特徴である。「ウケる」「ヤバい」「マジで」の3語で友達を100人作れるリア充もいれば、10ヵ国語を操れるが、全部独り言、という非リア充もいるのだ。
よって、どれだけネットで言葉を覚え、最新の情報を得ていようとも、それを人に伝えることが全くできないのである。
会話になると、あったはずの語彙が全て消え失せ、半笑いと曖昧な頷きしかしない金田一春彦になったり、超早口になり、常人には「デュフフフフフフフフフ!!」と言っているようにしか聞こえなくなったりしてしまうのだ。
これは、非リア充の多くが患っている「コミュ障」の症状であり、もちろん私も罹患している。その中でも私は「喋れないコミュ障」であり、言いたいことが上手く言えないので黙るのだ。それとは逆に「喋りすぎるコミュ障」というのもいる。空気を読めずに見当違いのことを喋りまくってしまうのだ。
与える印象は違うが、両方とも、自分の言いたいことを上手く言語化できないというのは同じだ。そして、何故そうなってしまうかというと、相手がいるからだ。「対人間」という事実が、コミュ障の言語中枢を破壊するのである。原因不明の焦りから言葉が全く出なくなったり、「君、性別だけ菜々緒に似てるね」など、言わなくて良いことを言ったりしてしまうのだ。
才能は開花させられる
逆に言えば、相手が人でなく、さらに言葉を選ぶ時間がたくさんあれば、非リア充だって自分の意見を、むしろリア充よりも豊富な語彙を使って伝えることが出来るのだ。
その相手とは、もうわかっていると思うが、壁だ。
間違えた、インターネットだ。
これらのことから、ネットに嵌はまった者が、会話能力がなくなり、コミュ障や非リア充になるというより、元々会話能力のない者が、自分の言いたいことを言う場としてネットを選んだという方が正しいのかもしれない。私などは完全に後者であり、高校生時代には立派なコミュ障ではあったが、チャットを使って顔の見えない相手と会話をするのは大好きであり、好きすぎて大学進学を諦めたほどだ。
その後も、ネットでの文章発表活動は続き、今ではこのように薄暗い部屋で、非リア充研究、という未だかつて誰も興味を示さなかった分野についての論文を綴つづれるまでになった。
つまり、目が悪い人間がメガネをかけることにより、目が良い人間と同じ動きができるように、今まで自分の言語能力を上手く扱えなかったコミュ障が、ネットという補助具を使うことにより、常人、またはそれ以上の表現が他者に対してできるようになったのである。
メディアではいかにもネットが若者をはじめとした人間をダメにしたかのように言うが、逆に、ネットを得たことにより才能を開花させたコミュ障はたくさんいるのだ。