非リア充に「承認欲求」はない

結局、暗い星の下に生まれた子どもがそのまま暗く育ったみたいな話なのだが、このコラムは「非リア王」をテーマにしている。非リアこそ最高であり、むしろ銀のスプーン(水垢がすごくついている)をくわえて生まれてきた、みたいな話にしないと終われない。

つまりこの「壁に話しかける力」こそ、現代に必要な力であり、それを幼少のころから鍛えてきた私は強者だ、ということになる。

私がネットでやっているのはツイッターであり、Facebookなどは、登録だけして数年放置という有様である。もともとFacebookはリア充向けのツールと言われて来た。何故ならFacebookに投稿する発言は、自分が友達登録した相手など、特定の誰かに向けた発言だからである。その誰かからコメントや「いいね!」をもらうためのコミュニケーションが目的だからだ。

その点私がツイッターで発言する時は、相手がいるとは思っていない。一応私をフォローしている人が見ているぐらいの意識はあるが、具体的な相手を思い浮かべながら「ウンコもれそう」などとつぶやくことはないし、リプライや「いいね!」も求めていない。つまり、壁に「ウンコがもれそう」と伝えた時点で満足であり、その行為は終了しているのだ。

だが、Facebookを使っているリア充はそうではないだろう。「ウンコもれそう」と投稿したら「いいね!」か「俺ももれそう!」等のコメントがつかないと満足がいかないのだ。もし、「いいね!」もコメントもつかなかったら不安にさえなるのだろう。

つまりリア充というのは、相手がいないと会話もできない上に、相手から反応が得られないと不安になってしまうという、弱すぎる生き物なのである。

その点非リア充は、壁一枚あれば、会話ができるし、それだけで満足が得られ、生きていけるというクマムシぐらい強い生物であり、無機物全てが話し相手なので、ある意味友達が多いとも言えるのだ。

そしてたとえ、何もない銀河に放り出されたとしても、今度は脳内にいる友達と会話をすることができる。

一見、非リア充とは孤独な生き方のように見えるが、実は孤独とは無縁なのである。

自分が言いたいから言う。承認されるためではない。そういう意味で、非リア充は孤独とは無縁な生き方をしているのだ Photo by iStock

どんなふうに話せないのか

オタクが人と対話せずに、漫画やアニメばかり見ているせいで、喋り方まで大仰なアニメ調になってしまうのと同じように、年中ネットばかり見ている拙者たち非リア充の言語が、リアル世界とは異なってしまうのは当然のことであり、関西弁、東北弁などと同じようにそれがしたちは、インターネット弁を使っているのである。

インターネット弁が具体的に何か、というと説明しづらくオタク語とかぶることも多々あるが、「キタコレ」「全裸待機」「控えめに言って○○」等、ネットで良く見る言い回しがそれだ。そしてインターネット弁の特徴は「声に出して言うと控えめに言って超ド級に気持ち悪い」ということである。