2019.04.29
# 天体観測

追悼・スーパー天文学者、海部宣男さん(元国立天文台長)

世界の天文学の発展に寄与
山根 一眞 プロフィール

ビッグプロジェクトの道筋を示した海部さん

観山さんは海部さんにこそ、まだまだ取り組み続けてほしい仕事があったと言う。それは、海部さんが2005年から2011年まで日本学術会議会員として取り組んだ、100億円規模の学術分野のビッグプロジェクトを、厳格に、円滑に実現するための道すじの構築だ。

「海部さんは学術会議の天文学宇宙物理学分科会で、朝10時から夕方5時まで続く熱い議論を年に数回行っていました。そのテーマの1つが、学術会議が推奨する次期大型計画のマスタープランのシステムの構築です」

海部さんが、そのマスタープランのシステムの構築に情熱を賭けていたのは、アルマの実現までに著しい苦労を味わっていたからだった。

「アルマは国際プロジェクトですが、日本は欧米の計画進捗に大きく遅れ、なかなか予算を獲得できなかった。アルマは文部科学省にもうけたアルマ計画検討委員会で検討や評価が続けられましたが、もともとこういう委員会を立ち上げる仕組みはなかったんです。こういう国際プロジェクトは、実現のために、どこに申請し、どういう評価を受けるかといった道筋がなかった」

「私も文科省の担当者に何度もアルマの実現のお願いに行き説明を続けましたが、担当官がこのプロジェクトの世界の学術の潮流での位置づけや評価をすることは難しい、専門家ではありませんから。こういうビッグプロジェクトは、専門家を集め議論し、評価をするシステムが必要なんです。海部さんは、そのシステム作りに情熱を傾けていたんです」

海部さんの取り組み、提言は、天文学、宇宙物理学という分野にかぎらず、文科系にもおよぶものだった。

国立天文台には、海部さんがその取り組みについて国立天文台セミナーで語った2018年1月19日の31ページにのぼる資料が残っていた。

【写真】国立天文台セミナーでの資料
  国立天文台セミナーでの資料(図・国立天文台)
  • 日本の学術政策は、世界からほとんど見えていない。マスタープラン、ロードマップは、部分的であれ日本の学術の方向を、国内的にも国際的にも可視化したと評価されているが、なお全体として欧米に較べてて大きな遅れ。
  • さらに進んで、すべての学術分野において、大型計画の国際共同を本格的に進めることが、科学目的、予算、人員面からも、今後極めて重要になる。

厳しい、熱い言葉で日本の大型学術プロジェクトの問題点を指摘し、目を覚ませと語りかける熱が伝わってくる。

観山さんが最後に見舞った際にも海部さんは、「このシステム、うまく機能してくれるか、だいじょうぶかな」と心配していた。観山さんは、そういう道筋作りで大きな力を発揮された海部さんを、早く失ってしまったことが残念でならないと語っている。

天文学の魅力を教えてくれた海部さん

という海部さんだが、私にとっては魔法使いのような存在だった。

私は海部さんの魔法にのせられ、国立天文台のプロジェクトの取材と執筆に次々に駆り立てられてきたのだから。初めて、おそるおそる「すばる」の大規模取材を申し込んだ際、海部さんはこう返答した。

「できるだけの協力をしましょう。『すばる』は国民の税金で作っています。その仕事がどのようなものであるかを、一般国民に正しく伝えることは、私たちの義務です。たくさんの一般の方々が読んでいる週刊誌で『すばる』をとりあげてもらえれば、そういう役目が果たせると思いますので、むしろ、私の方からお願いしたいくらいです」

これは、海部さんとの長い対談を含めて6本の「すばる」関連対談を収載、「すばる」の観測画像の8ージにおよぶカラーグラビアも入れた『文庫版・メタルカラーの時代11・わくわくする大科学の創造主』(2005年10月、小学館)の「まえがき」で私が書いたエピソードだ。

【写真(書影)】文庫版・メタルカラーの時代11
  『文庫版・メタルカラーの時代11』

そして、この文庫本の巻末には海部さんが「解説」を寄稿してくれた。読み返してみると、その内容はまるで私への追悼文なのだ。が、それを超えて行間からは、海部さんのあたたかなお人柄が伝わってくる。今回、ご遺族のご了解をいただいたので、その全文をご紹介します。

ちなみに、私が「すばる」の取材に情熱をかけたのは、海部さんから「山根さんには『すばる』が完成したら、真っ先に接眼鏡で直接天体を見せてあげますよ」という言葉をいただいたからでもあったのだが、海部先生、まだ見せていただいていないんですけれど……。(「すばる」にはそんな接眼鏡があるのだろうか?)

【写真】「すばる」のリニューアル工事現場で
  昨年の11月18日、久々に訪ねた「すばる」では大規模リニューアルによって想像をはるかに超える観測成果をあげていた。写真左は国立天文台ハワイ観測所、広報サイエンティストの藤原英明さん。マウナケア山頂では直径30mという空前の規模の反射望遠鏡の国際協力プロジェクトTMTの建設も準備中(写真・山根事務所)
 

山根一眞著『文庫版・メタルカラーの時代11』に寄稿された海部宣男先生による解説文(全文)

少年・少女の好奇心と「日本の活力」

山根一眞さんのホームページに、私にとっても記念すべき写真が載っている。

一九九七年十一月五日。マウナケア山頂のすばる望遠鏡のドームの下で、かたく握手を交わしている山根さんと私である。背景には、アメリカのピッツバーグから二ヶ月の長旅を終えてすばるドームに無事に収まった、八・二メートル凹面鏡の巨大な箱が見える。下界では小雨もよう、四二〇〇メートルの山頂でも霧が巻いた、この日。ハワイ島西海岸のカワイハエ港を午前二時半に出発したすばる望遠鏡主鏡の大キャラバンが終わった瞬間だ。それにしてもああ、はや、八年前のことではある。

巨大な上にとてつもなく精密なガラスの凹面主鏡は、すばる望遠鏡の生命だ。一九九二年から七年かけてアメリカ本土で鋳込(いこ)み、削り、磨いて作ってきた世界最大・最良の鏡が、ようやくマウナケアのすばるドームの懐に収まったのだから、建設に携わってきた私たちにとっていかに感慨深い瞬間だったか、想像いただけよう。長期にわたって「すばる」の取材を続けてこられた山根さんにとっても、取材のハイライトではなかっただろうか。あのときの山根さんの笑顔は、私たちとおなじ喜びに満ちていた。そのあと、ヒロの私の自宅で交わした杯(さかずき)も、忘れられない。ただし、山根さんがほんのすこししか飲めないということは、このときに知った。

この文庫版に収録された「すばる望遠鏡」の記事は六項目にわたるが、連載された『週刊ポスト』では、はじめの二つがそれぞれ二週連載で、合計八週間に及んだと記憶している。ちょうどその頃、すばる望遠鏡を建設・運用する国立天文台ハワイ観測所がハワイ島・ヒロの町に設置され、私は初代の所長としてヒロに住み込んで、望遠鏡の建設を指揮していた。小学館から山根さんの「メタルカラーの時代」すばるシリーズが載った『週刊ポスト』を毎回送ってくださるので、観測所に持って行ってみなに回すのだが、問題は、毎号載るあの有名な写真である。何しろアメリカは、日本よりはるかにセクハラに厳しい。『週刊ポスト』を公開の場所であるオフィスに置いておくと、それだけで訴えられても仕方がないのである。やむなく山根さんの記事だけ切り抜いておいて、回覧した。残る雑誌のほうは、誰かが自宅に持ち帰って楽しんだようだ。

「メタルカラーの時代」のすごいところは、この『週刊ポスト』に(失礼!)、かくも硬派な企画で、長きにわたって熱心な読者を確保し続け、膨大な単行本として世に問い、そしてまた十余冊に及ぶ文庫にまとめられようとしているということだ。ちなみに本書に掲載されている、宇宙の無重力を地下トンネルへの自由落下で再現する「無重力実験装置」も、『週刊ポスト』で六週にわたって連載されたテーマだ。山根さんの新しい世界へのあくなき好奇心、モノつくりへの強い愛着、そして極めて健全な形での愛国心。それが、仕事に追われるサラリーマンやエンジニアにストレートに受け入れられ、歓迎された。山根さんの世界は言ってみれば、少年の頃の、希望と好奇心に満ちた新鮮な世界そのものであると思う。念のために書くが、少女たちにももちろん同じ世界はあるだろう。でもやはり圧倒的には、石や虫を集め、「探検」や工作に熱中した少年の世界。長じて時間に追いまくられる世の男たちが、どこかにひそかに抱き続けている世界を、山根さんは全身で掘り出し、全力で書き、忘れていた何かをかきたて続けてきたのだと思う。

実をいうと私たち研究者も、少年・少女の新鮮な好奇心をずっと育て続けてきた、言ってみれば子供に近い人種である。技術者はまた、組み立てキットがすこしずつ完成してゆくあの興奮を捨てきれなかった人たちだ。すばる望遠鏡ももちろんそうだが、山根さんがすごい馬力で次々と紹介する、無重力実験装置をはじめさまざまな宇宙開発・海洋開発にかかわる新技術もみな、そのような「知りたがりの精神」と「モノつくりの興奮」の合作として生まれてきたものである。山根さんの「少年」がこれらと共鳴し、「メタルカラーの時代」を生み出し続けてきた。それがこのように広く受け入れられているということが、私は率直にうれしい。「メタルカラーの時代」が歓迎され続ける間は、いかに政治が情けなく経済が怪しくとも、日本の活力は失われないのではないか……。そんなふうにすら、思われるのである。

先日、山根さんからお招きを受けて、愛知万博の山根館を訪ねた。いや、「山根館」があるわけではない。愛知県の総合プロデューサーである山根さんが指揮した二つのパビリオン──長久手愛知県館と瀬戸愛知県館なのだが、ついそう呼びたくなるほどに、この両館には山根さんの想いが貫徹していると思った。環境万博と銘打っている割には、環境問題の提起に本当に知恵を絞り工夫を凝らしたパビリオンは、少ないようだ。そのなかにあってまともに環境に取り組んだのが、山根さんの二つの愛知県館である。長久手愛知館の「地球タイヘン大講演会」も大変な力作で、立体的な演出を大いに楽しんだ。だが、瀬戸愛知県館の絶滅したニホンカワウソやニホンオオカミの本物の剥製(はくせい)展示には本当に驚いた。シーボルトが日本から本国オランダに持ち帰った剥製、そのものなのだ。こだわりと実行力、である。会場周辺の森に生きるさまざまな昆虫の迫力あふれる近接撮影の映像、苦心して採録したという虫たちの立てる音の、なんと活(い)き活きと、身近な森でくりひろげられている多様な「生活」を感じさせてくれることか。瀬戸愛知県館内には万博工事で伐採予定だったコナラの木が移植されていたが、それに夜ごとムササビがやって来ていると聞いた。愛知の小中学校の子供たち一万人の苦心の傑作「リサイクル素材で作った昆虫標本」がならぶ瀬戸愛知県館は、私たちは周囲に残された自然とどうかかわってゆくのかと、訪れる人たちに問いかけている。広範な森を万博会場に、そして住宅に変えようという当初の計画が多くの人たちの大きな反対にあったという愛知万博だが、瀬戸愛知県館では、それを大きく乗り越えて、県民と工夫に満ちた交流がさまざまに行われていた。ここに至るまでの山根さんはじめ関係者の苦労や、思うべし。結果として、このパビリオンを訪れる多くの人たちが、人間活動と自然について、なにかを感じる。考える。

これら「山根館」は、万博の開会当初は注目もされず入館者も少なかったというが、万博入場者が増え報道もさまざまに広がってくるにつれて、次第に関心を呼ぶようになった。いまは人気館の一つで、私たちが訪ねたときも満員の盛況だった。ここは、『アマゾン入門』(文春文庫)以来の山根さんの仕事の一つの総まとめなのだろう。大事なことはやはりいずれ関心を集めるし、手ごたえは手ごたえを呼ぶ。スタッフの若者たちの明るさ・真剣さも、心に残った。

残ったわずかな時間で訪ねた北欧館や小さなリトアニア館もそれぞれに工夫した心温まる展示で、よい心地を残した愛知万博訪問だった。山根さんに感謝、である。

この本のなかに、多くの読者が心に留めると思われる異色の記事がある。〝「山頂に天文台を」という[日系人の夢]と「すばる」〟と題した項である。

私が赴任する前にハワイ現地に住み込み、現地社会とも親しく交わって建設の下ごしらえをしていただいた国立天文台の成相恭二教授が仕入れてきたアキヤマ・ミツオさんの話は、ほとんど一つの冒険談だ。すばるを含めていま山頂に林立する巨大望遠鏡は、ヒロのハワイ島商工会議所に勤めていた一日系人の発想と、一流の天文学者たちへの勇敢な接触からはじまった。これはもちろん、最新技術にしのぎを削るという話ではない。アキヤマさんのハワイ島を愛する一途な行動が、世界最高の天文学をマウナケアに花開かせることになったのである。すばる望遠鏡取材に来られた山根さんにアキヤマさんのことをお話ししたら、「ぜひとも記事にしたい」と眼を輝かせた。アマゾンで多くの開拓者に取材した山根さんのアンテナには、ピンときたに違いない。そのときすでにアキヤマさんは耳がとても遠く、山根さんも取材には苦労されたと思うが、日本に紹介いただいたことは私もうれしかった。科学や技術と同時に、人間への熱い思いを抱く山根さんらしい記事である。

アキヤマさんは、残念ながら三年ほど前に物故された。ふた昔も前のジャーナリストとしてヒロの名物的存在であった大久保清さんは、大量の日系移民関係の収集品を残し、やはり三年ほど前になくなった。すばる望遠鏡の建設にあたっていた私たちを何くれとなく支援していただき、日系移民の中心的存在だった暖かな心のトム・オクヤマさんも、最近なくなられた。すばる望遠鏡の建設を本当に喜んで応援していただいた多くの日系二世の知己の方々が去ってゆかれるのは、やはりさびしいかぎりである。

いま国立天文台では、南米・チリの標高五〇〇〇メートルの乾燥高地に、日米欧の三極ががっぷり組んで建設する巨大電波望遠鏡「アルマ」計画を進めている。

八十台の高精度パラボラアンテナを、東京の山手線が囲むほどの範囲に配置するというこの計画に、山根さんが関心を持たぬはずはない。すでに私やプロジェクトリーダーの石黒正人さんなどの取材をされた山根さん、「ぜひ五〇〇〇メートルのアルマサイトに立ちたい」と張り切っている。現地では中間キャンプが出来、山頂への道路工事も着々と進行中。日本やアメリカ、ヨーロッパ各国では、アンテナの製造、大量の受信機の開発などが、連携をとりながら進んでいる。天文学でも初めてという、世界規模で対等に進める本格的な国際共同だ。

新たな「メタルカラー」では、技術開発の国際協力も大きなテーマになるかもしれない。ただし完成したアルマが登場するのは、まだ数年先ということになる。科学の計画は、息が長いのである。

(かいふ のりお・国立天文台台長)

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