アルマ望遠鏡との出会い
私のアルマ望遠鏡の取材のきっかけは1990年代後半にさかのぼる。
直径8.2mという世界最大の巨大反射望遠「すばる」が建造中で、その建設地、ハワイ島のマウナケア山(標高4200m)に数度目の訪問をした際、このプロジェクトを牽引してきた海部宣男(かいふのりお)さん(1997年から国立天文台の初代ハワイ観測所長)と会食。

その席で、海部さんから、
「山根さん、すばるの次の大プロジェクトが始まっているんです、ぜひ、その取材もして下さい」
と言われたのだ。それがアルマ望遠鏡だった。

後、私は、干渉計の専門家でアルマの実現に甚大な情熱をそそいでいた石黒正人さん(国立天文台名誉教授)に最初の取材を行い、以降、十数年にわたり取材を続け、2017年7月にノンフィクション作品『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』(日経ビジネスコンサルティング)を出版した。アルマの実現までには30年におよぶ語り尽くせぬ苦労があり、それをとことん調べ取材するのは楽ではなかった。
完成からわずか1年半での偉業!
2013年3月13日、アルマは開所式を迎え、私も参列した。
その開所式の夜、アルマの山麓の町、サンペドロ・デ・アタカマでは、アルマに参加したそれぞれの国が思い思いのレンストランで祝杯をあげていたが、日本は台湾を含めた東アジアのグループと祝賀会を開催した。

前列左から、岡村定矩さん(東京大学名誉教授)、海部宣男さん、中井直正さん(筑波大学教授、元野辺山宇宙電波観測所長)、小杉城治さん(国立天文台アルマプロジェクト准教授)、山本智さん(東京大学教授)。山本智さんの右後方に小平桂一さん(元国立天文台長)の姿も(写真・山根一眞)
その熱気に満ちた人混みの中に海部宣男さんの姿があった。海部さんは、興奮気味にこんなことを話された。
「アルマはグローバル、国際協力の姿としては理想に近いと思います。日本を含めた東アジア、アメリカ、ヨーロッパが対等に協力し、それぞれがシンメトリックにそれぞれの役目を果たした。こんな素晴らしい国際協力はないと思います。日本が2国間のインターナショナルを超えて、こういう理想的なかたちでのグローバルな国際協力ができたのが一番よかったと思います」
「テクノロジーの進歩はすごいです。アルマが実現できた最大の要因はコンピュータの進化です。コンピュータの設計によって非常に精密なアンテナや受信機を作れるようになりました。それは、僕らの時代とのものすごい違いです」
「アルマによって人類は宇宙観を変えます。アルマはスーパーテレスコープです。観測データを見るとね、とんでもないデータが出てきているんです。惑星形成にしても、こんなものが見えるかもしれないと期待していたものが見えてきてしまっているんですから」
その開所式からわずか1年半後の2014年11月6日。
アルマは若い星おうし座HL星を取り囲む塵の円盤の姿を捉えたと発表、新聞の1面を飾る大ニュースとなった。国立天文台は、「惑星誕生の現場である塵の円盤をこれほど高解像度で撮影されたのは初」と伝えた。アルマの目標は、「宇宙の物質進化の姿」、「原子銀河の形成」、「星や惑星系の起源と形成のシナリオ」という3本柱だったが、開所式からわずか1年半で「目標の1つを達成してしまったんですよ」と井口聖さんは口にしていた。

こんなに早く海部さんの予言が的中したことに驚いたが、その海部さんですら「ブラックホールを捉えるだろう」とは口にしていなかった。